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全力で投げて打つ。日々進歩する南スーダン野球

野球人、アフリカをゆく(19)南スーダン野球の未来を開く男との出会いが

友成晋也 一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構 代表理事

拡大日本人相手にエドワード君が初めての全力投球!快速球が外角低めに決まり、空振り三振!

<これまでのあらすじ>
危険地南スーダンに赴任し、過去、ガーナ、タンザニアで野球の普及活動を経験した筆者は、3カ国目の任地でも、首都ジュバ市内に安全な場所を確保し、野球教室を始めた。初めて野球を目にし、取り組む南スーダンの子供たちとの信頼関係も徐々にできてゆく。ようやく試合ができるレベルになってくると、試合前に整列し、礼をする日本の高校野球の形を導入していった。その独自の野球哲学は、タンザニアとガーナでの経験から培われたものだった。

 「ミスター・トモナリ! ウェルカムバック!」

 ジュバ大学のグラウンドに防弾車で到着し、野球道具一式を下ろしていると、いつの間にか来ていたキャプテンのジオンが少し照れた表情で声をかけてきた。

 「タンザニアはどうでしたか?」

 前回の日曜日は、ちょうど第6回タンザニア甲子園大会(2018年12月6日~9日)が開催され、休暇を取得してダルエスサラームに行っていたため、練習を欠席した。選手たちにはその理由を伝えていたため、関心があったのだろう。

おじさんコンビに加わった若きダイス

 「ジオン、今日も早くきたんだな。ウェルカム!」と握手をしながら、「野球がまったくなかったタンザニアに野球場が建設されたんだ。18チーム200人以上が参加した大会でなかなかのものだったよ」というと、うなづきながら「グレイト!」(すごい)と短く返してきた。

 「あ、ジオン、紹介しよう。日本からきたばかりの金森大輔だ」

 そう言って、上はサッカーの侍ジャパンのブルーのユニフォームにスポーツ短パンという、どうみてもサッカースタイルの金森をジオンに引き合わせる。

拡大持ち帰った貸し出し野球道具を持ってきた大荷物のジオン君(右)を助けるダイス。
 「ハロー!ナイストゥミーチュー!(お会いできてうれしいです)。ダイスって呼んでね」と金森。JICA事務所に着任したばかりの彼は、「平和構築」を専門に勉強してきた企画調査員と言われる契約ベースのスタッフだ。担当する事業のメインのひとつは、スポーツを通じた平和促進プロジェクト。JICA南スーダン事務所の目玉事業の一つだ。

 「ダイス、わかっているな。これからここでやることはサッカーじゃなくて野球だぞ」と上目使いで茶化すイマニ(事務所の同僚、今井所員のニックネーム)に、「わかってますよ」と爽やかに笑いながら返すダイス。我々おじさんコンビに加わった彼は、着任直後とあって肌も白く、ひときわ若々しく見える。

 実はダイスは野球人ではなく、サッカー人生を歩んできた。大学時代は体育会のサッカー部に所属し、チームは全国大会の決勝まで進む。本人は1年生にしてレギュラーの座をつかみかけ、Jリーガーになることを夢見ていたらしい。たび重なる怪我により、思うような選手生活を送ることができず、挫折もあったが、部活動は最後までやり抜いたという。筋金入りのスポーツマンだ。


筆者

友成晋也

友成晋也(ともなり・しんや) 一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構 代表理事

中学、高校、大学と野球一筋。慶應義塾大学卒業後、リクルートコスモス社勤務を経てJICA(独立行政法人国際協力機構)に転職。1996年からのJICAガーナ事務所在勤時代に、仕事の傍らガーナ野球代表チーム監督に就任し、オリンピックを目指す。帰国後、2003年にNPO法人アフリカ野球友の会を立ち上げ、以来17年にわたり野球を通じた国際交流、協力をアフリカ8カ国で展開。2014年には、タンザニアで二度目の代表監督に就任。2018年からJICA南スーダン事務所に勤務の傍ら、青少年野球チームを立ち上げ、指導を行っている。著書に『アフリカと白球』(文芸社)。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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