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鳩山由紀夫「私としては小沢総理で良かった」

(28)鳩山由紀夫に「民主党政権の挫折」を聞く・上/国家戦略局

佐藤章 ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長

「私は松井孝治さんを信頼していた」

 鳩山由紀夫は戦後の首相、鳩山一郎を祖父に持ち、大蔵次官から参院議員、外相となった鳩山威一郎を父とする政治家一家に育った。東大工学部卒業後、米国スタンフォード大学大学院でPh.D.を取得。1986年に初当選、翌87年には小沢一郎とともに所属していた田中派を離脱し、竹下登を旗頭とする経世会に参加した。
 1993年には武村正義らと新党さきがけを結成して自民党を離党。細川護煕非自民連立政権には内閣官房副長官として参加。96年に菅直人や弟の鳩山邦夫らと旧民主党を結成。2003年には自由党代表だった小沢一郎とともに民由合併を手がけ、その後新民主党の幹事長に就いた。09年に小沢代表の辞任を受けて党代表に就任し、自民党との政権交代後の首相となった。
 「政権交代」を強く訴えた2009年の民主党マニフェストにおける「鳩山政権の政権構想」の前面に立てられた「5原則5策」のうちの第3策にはこう掲げられている。
 「官邸機能を強化し、総理直属の「国家戦略局」を設置し、官民の優秀な人材を結集して、新時代の国家ビジョンを創り、政治主導で予算の骨格を策定する」

拡大就任後初めての記者会見に臨む鳩山由紀夫首相=2009年9月16日、首相官邸
――民主党政権の最大の目玉だった国家戦略局は2009年のマニフェストの5原則5策の第3策で打ち出されました。鳩山さんはそのプログラム作成を当時民主党参院議員だった松井孝治さんに任せましたが、これはやはり松井さんがこの問題をずっと提起されてきていたことを評価、信頼されて任されたのでしょうか。

鳩山 はい。基本的には松井さんを信用、信頼していました。彼はそういう緻密な頭脳を持っていますから。我々とすれば政府主導の仕組みを作りたい。そのためには、元官僚で官僚の仕組みというものをよく知っている人間でないとまずいわけです。官僚のシステムを替えないといけないわけですから。そういうことをよく知り、そういう思いを持っていた人間が政治主導のシナリオを作ってくれるのですから、彼を信頼したいということが基本にあります。

 それが、国家戦略局が戦略室になって、どんどん意味のないものにされていってしまいました。本当はもっと大胆に政治主導の法案を成立させていきたかったんですけれども、それが徐々に変わっていってしまいました。

 余談になりますが、私は、役人のトップクラス、例えば局長以上の人間に対しては、いったん辞表を持って来てもらって、自分たちの新しい政権の政策に同意してくれるかどうか確かめて、それが可能であれば採用しようというプロセスが必要だと思っていました。

 実際には、それは憲法違反だという松井さんの反対があってそのプロセスには入れなかったのですが、そこで自分たちの政策を貫くといっても、今までの役人のスタッフを中心にしては、なかなか難しかったということがあります。

 しかし、松井さんを信頼したことは事実で、今でも彼は素晴らしい仕事をしてくれたと思っています。私が辞めたら彼も同じようにその後役職に就かず、それくらいの潔さを持って政治までやめてしまいましたけど、彼自身としても、シナリオ通りにうまく運べなかったという部分を感じているのではないかと思います。

――国家戦略局については、枢要なポジションにあった皆さん、それぞれに考えがずれていたようですね。

鳩山 そうなんです。

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筆者

佐藤章

佐藤章(さとう・あきら) ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長

ジャーナリスト学校主任研究員を最後に朝日新聞社を退職。朝日新聞社では、東京・大阪経済部、AERA編集部、週刊朝日編集部など。退職後、慶應義塾大学非常勤講師(ジャーナリズム専攻)、五月書房新社取締役・編集委員会委員長。最近著に『職業政治家 小沢一郎』(朝日新聞出版)。その他の著書に『ドキュメント金融破綻』(岩波書店)、『関西国際空港』(中公新書)、『ドストエフスキーの黙示録』(朝日新聞社)など多数。共著に『新聞と戦争』(朝日新聞社)、『圧倒的! リベラリズム宣言』(五月書房新社)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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