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国家中心からグローバル・コミュニティーの時代へ

ポスト冷戦時代を読む(3)米ハーバード大学名誉教授 入江昭さん

三浦俊章 朝日新聞編集委員

ベルリンの壁が崩壊し、米ソ両首脳が「冷戦の終結」を宣言してから30年にあたった今年は、1989年以後の歴史の歩みを嘆く議論が多かった。なぜ、リベラルな世界秩序は揺らいでしまったのか。東欧の社会主義体制の国々は、なぜ安定したデモクラシーに移行しなかったのか。そういう問いや嘆きは、1989年を起点にした議論である。しかし、世界のダイナミックな変容は、突然その年に始まったわけではない。1970年ころから、伝統的な国家関係を超える大きな動きが始まっていた。冷戦という時代もポスト冷戦の流れも、より長いグローバリゼーションの文脈で読み解くべきではないか。インタビュー・シリーズ「ポスト冷戦時代を読む」の最終回は、グローバル・ヒストリーを提唱する歴史家、入江昭・米ハーバード大名誉教授に聞いた。(朝日新聞編集委員・三浦俊章)

自宅の書斎でパソコンに向かう入江昭ハーバード大名誉教授=ペンシルベニア州の自宅(筆者撮影)

入江昭(いりえ・あきら) 米ハーバード大学名誉教授
1934年生まれ。高校卒業後に渡米、ハーバード大学で博士号。シカゴ大、ハーバード大などの教授を歴任。元アメリカ歴史学会会長。著書に「日本の外交」「日米戦争」「二十世紀の戦争と平和」「歴史家が見る現代世界」など。

1970年代から世界史が新しい段階に

――ポスト冷戦の30年をどのようにふり返っていますか。

 現代の歴史を考えてみると、もうすこし早く1970年代あたりから世界史が新しい段階に入ったような気がします。ベルリンの壁の崩壊だけでなく、改革・開放以来の中国の台頭など欧米以外の動きも含めると、今まで私たちが歴史を見ていた感覚では、もはや歴史を捉えきれないと思う。そういう時代が来たのではないでしょうか。

 我々が語ってきた近代史とは、国家が中心の歴史でした。日本が開国したとか、日本と米国が戦争をしたとか、米ソが冷戦を繰り広げたとか、国家を通して歴史を考えることが多かった。18世紀末のフランス革命以後、世界各地で国家がつくられた。20世紀初めは、まだ植民地が多く、独立した国はせいぜい50くらいでしょうか。20世紀が終わるころには、国家の数は200くらいになった。そういう国家の動きに私たちは関心を集中させてきた。その結果、見えないものが多いのです。

――見えないものとは。

 ひとりひとりの個人が、自分が所属する国家以外のものにアイデンティティーを見いだす世界になりました。男女の性別とか宗教とか、国家単位では捉えられない価値が重要になりました。従来の国家中心の歴史の見方というのは結局、指導者は男性ばかりですから、男性の視点で歴史を見ていたのですね。

何が変わったのか︖

――1970年代に何が変わったのでしょうか。

 人権の問題を例に考えてみましょう。1948年の国連総会で、「世界人権宣言」が採択されました。世界人権宣言は、人種・性・宗教などによる差別を禁止しています。しかし、現実はどうだったでしょう。当時はまだ植民地もありました。

 アメリカでも、公民権運動の時代の前ですから、黒人の差別は根強かった。国際関係は、超大国の男性のリーダーが支配していました。人権といっても、人類の半分を占める女性は入っていなかったのです。1948年の時点では、人権はグローバルになっていないのですね。1970年代になって、ようやく人権の議論が深まったのです。

 70年代のもうひとつの特徴は、宗教です。今まではキリスト教の国家が中心だった。そこにイスラム諸国、中国、インドなど西洋以外の世界が入ってきた。今までのように、国と国とのつながりだけで歴史を見ていると、女性からの視点、宗教からの視点を見落としてしまう。

 さらに多国籍企業やNGOなど非国家的な存在、国境を越えた人間の活動をみていかねばなりません。喫緊の課題である環境問題やテロリズムの問題も、国家を単位として考えているだけでは理解もできませんし、解決策も出てきません。

時代遅れになった国家中⼼の⾒⽅

庭に立つ入江昭ハーバード大名誉教授=ペンシルベニア州自宅(筆者撮影)
――現実の世界はグローバル化しているのに、その反動なのでしょうか、領土問題などナショナリズムが再び燃え上がっているように見えますが。

 それは時代遅れの思考法だと思います。

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