ポスト冷戦時代を読む(3)米ハーバード大学名誉教授 入江昭さん
2019年12月30日
ベルリンの壁が崩壊し、米ソ両首脳が「冷戦の終結」を宣言してから30年にあたった今年は、1989年以後の歴史の歩みを嘆く議論が多かった。なぜ、リベラルな世界秩序は揺らいでしまったのか。東欧の社会主義体制の国々は、なぜ安定したデモクラシーに移行しなかったのか。そういう問いや嘆きは、1989年を起点にした議論である。しかし、世界のダイナミックな変容は、突然その年に始まったわけではない。1970年ころから、伝統的な国家関係を超える大きな動きが始まっていた。冷戦という時代もポスト冷戦の流れも、より長いグローバリゼーションの文脈で読み解くべきではないか。インタビュー・シリーズ「ポスト冷戦時代を読む」の最終回は、グローバル・ヒストリーを提唱する歴史家、入江昭・米ハーバード大名誉教授に聞いた。(朝日新聞編集委員・三浦俊章)
入江昭(いりえ・あきら) 米ハーバード大学名誉教授
1934年生まれ。高校卒業後に渡米、ハーバード大学で博士号。シカゴ大、ハーバード大などの教授を歴任。元アメリカ歴史学会会長。著書に「日本の外交」「日米戦争」「二十世紀の戦争と平和」「歴史家が見る現代世界」など。
――ポスト冷戦の30年をどのようにふり返っていますか。
現代の歴史を考えてみると、もうすこし早く1970年代あたりから世界史が新しい段階に入ったような気がします。ベルリンの壁の崩壊だけでなく、改革・開放以来の中国の台頭など欧米以外の動きも含めると、今まで私たちが歴史を見ていた感覚では、もはや歴史を捉えきれないと思う。そういう時代が来たのではないでしょうか。
我々が語ってきた近代史とは、国家が中心の歴史でした。日本が開国したとか、日本と米国が戦争をしたとか、米ソが冷戦を繰り広げたとか、国家を通して歴史を考えることが多かった。18世紀末のフランス革命以後、世界各地で国家がつくられた。20世紀初めは、まだ植民地が多く、独立した国はせいぜい50くらいでしょうか。20世紀が終わるころには、国家の数は200くらいになった。そういう国家の動きに私たちは関心を集中させてきた。その結果、見えないものが多いのです。
――見えないものとは。
ひとりひとりの個人が、自分が所属する国家以外のものにアイデンティティーを見いだす世界になりました。男女の性別とか宗教とか、国家単位では捉えられない価値が重要になりました。従来の国家中心の歴史の見方というのは結局、指導者は男性ばかりですから、男性の視点で歴史を見ていたのですね。
――1970年代に何が変わったのでしょうか。
人権の問題を例に考えてみましょう。1948年の国連総会で、「世界人権宣言」が採択されました。世界人権宣言は、人種・性・宗教などによる差別を禁止しています。しかし、現実はどうだったでしょう。当時はまだ植民地もありました。
アメリカでも、公民権運動の時代の前ですから、黒人の差別は根強かった。国際関係は、超大国の男性のリーダーが支配していました。人権といっても、人類の半分を占める女性は入っていなかったのです。1948年の時点では、人権はグローバルになっていないのですね。1970年代になって、ようやく人権の議論が深まったのです。
70年代のもうひとつの特徴は、宗教です。今まではキリスト教の国家が中心だった。そこにイスラム諸国、中国、インドなど西洋以外の世界が入ってきた。今までのように、国と国とのつながりだけで歴史を見ていると、女性からの視点、宗教からの視点を見落としてしまう。
さらに多国籍企業やNGOなど非国家的な存在、国境を越えた人間の活動をみていかねばなりません。喫緊の課題である環境問題やテロリズムの問題も、国家を単位として考えているだけでは理解もできませんし、解決策も出てきません。
それは時代遅れの思考法だと思います。
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