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国民になるかもしれない人としての外国人

国籍についての仏専門家 パトリック・ヴェイユ氏に聞く

大野博人 元新聞記者

国籍は絶対的ではない。変えることができる

 人間一人一人に日本人だとか中国人だといった「国籍」があるのはあたりまえ。そう思いがちだけれど、「国籍」という概念はほんの200年ほど前には存在していなかった。

 いつどんな社会で、どんな理論を支えとして形成されてきたのか。それはどんな意味があったのか。

 それをフランスやドイツなどの歴史を緻密に分析して読み解いた名著がある。フランスの国立科学研究センター研究主任のパトリック・ヴェイユ氏(62)が著した「フランス人とは何か」だ。

「フランス人とは何か」の著者パトリック・ヴェイユ氏=パリ
 昨年6月に明石書店からその邦訳が出版された。これは今日の日本に欠かせない文献ではないだろうか。

 日本は遅ればせながら事実上の「移民政策」に踏み出した。「人手不足」という理由で。

 しかしほんとうの問題は「国民不足」だ。経済成長もしていないのに人手が足りないのは国民が減り続けているからにほかならない。

 であれば、本質的な課題はどうやって「国民」を増やすか、だ。

 少子化は当分止まらない。ならば、どうやって外国にルーツのある人を国民にするか、考えざるをえない。

 その点、この本は豊かな歴史的事例とその意味を教えてくれる。

 論考の柱は、国籍の根拠に血筋をおく血統主義と、ルーツはどこであれ生まれた国の国籍を与える生地主義の対立と共存の歴史。その読み解きを通してまず浮かび上がるのは、「国籍」とは相対的なものだという点だ。

 絶対的ではなく、変えることができる。そこに視点を置くことから始めれば、外国にルーツを持つ人たちを社会の仲間にすることは不可能ではないことがわかる。

 パリで著者に話を聞くと、日本が採れる選択肢についても示唆してくれた。

国籍の定義が確立したのはナポレオン法典から

――国籍という概念は1789年のフランス革命以前には存在しなかったのですか。

 そうです。ありませんでした。19世紀より前、国民国家ができあがる前にはなかったのです。それは国際関係の主要な主体として登場するのです。

 その後、国籍という概念は当然に存在することとして認識されるようになりますが、この言葉が流通するのは19世紀も後半になってから。そのときは、人と国とのつながりを定義するまったく法的な概念として、でした。

――革命期、フランス人とかフランス国民はどんな風に考えられていたのでしょうか。

 フランス革命当時に焦点になったのは市民という言葉です。それは二つの意味で使われました。ひとつは主権者として選挙に参加する者、もう一つはその国の人間という意味。ただ革命後の憲法を市民とは何かという点で読んでもよくわかりません。その二つについての混同があるからです。当時もいろいろと考えたようですが、うまい解決が見つからないままでした。まだ国籍という言葉もなかった。

 ナポレオン民法典ができてようやく憲法でいう市民とは、選挙に参加する人のことであって、国家と個人との法的な関係についての概念ではないとはっきりさせました。それは英語のシチズンシップという言葉についても同様です。

ナポレオン

――つまり、国籍の定義を確立して国民とはだれかをはっきりと決めたのはナポレオン法典からということですね。

 この民法典でフランスは革新的なことをしました。考えたのは、当時すでに78歳だったフランソワ・トロンシェという法律家です。いまでいうと100歳にも匹敵する高齢でした。革命後の司法界で重要な役割を担った人で、のちに彼が亡くなったときには、ナポレオンがその遺体をパンテオンに移させたほどの大物です。

 彼こそが父系の継承による近代的な国籍の概念を生みだした人物なのです。つまり血統主義という考え方です。それはやがて日本にも強い影響を及ぼすのですが、それは彼から始まっているのです。彼はその考えをナポレオンにさえ受け入れさせました。ナポレオンは、本来は生地主義を維持したかったのです。

――「維持したかった」というのは、革命より前の時代、アンシャンレジーム(旧体制)下ではだれを自分たちの国の人だとみなしていたのでしょうか。

 もしフランス生まれの両親の下でフランスで生まれ、フランス領土に住んでいれば自然にフランス人というのが基本でした。

――一種の生地主義ですね。

 それが革命のあと、考え方が二つの枝に分かれていくことになります。一つはフランスのナポレオン民法典に始まる血統主義です。これは欧州諸国やアジアにも広がっていきます。これに対して生地主義は英国に残り続けます。

 興味深いのは、血統主義をドイツ、当時のプロイセンも取り入れたことです。近代的な法を確立していくうえで日本はプロイセンの法を参考にしたはずですが、それがもともとフランスの法だったことには気づいていなかったかもしれません。だから私の著書は、日本の国籍についての法の起源も説明していることになります。

「兵役の不公平」から生まれた生地主義

――血統主義を確立したトロンシェは、国民とはだれのことだと考えていたのでしょうか。

 彼は国民を『家族』のように考えたのです。国籍は父親から子へと引き継がれるもので、その人が外国へ行ってもそれは引き継がれると考えた。

――著書によると、血統主義にももともと人種や民族という考え方は含まれていなかったそうですね。

 まったく関係ありませんでした。血統といっても、それは家族の系譜ということを意味していました。また国家との関係で個人の自立とも関係していました。なぜなら血統主義で国籍を決めると、個人は自由に場所を移動することができるようになるからです。居場所を変えられる。たとえば日本人が中国に行けば、日本人でなくなるか。そうはならない。血統で国籍を定義すれば、領土から解き放たれるという面がありました。

――今日、多くの国で血統主義だけでなく生地主義も国籍を決める方法として取り入れていますね。

 血統主義と生地主義は対立する概念ではありません。それらは組み合わさっている。多くの国籍法は、その二つを組み合わせています。

 1世紀にわたり、フランスの国籍は血統主義が基本でした。しかし移民の国になるにしたがって、生地主義の要素を手直しする形で採用するようになっていきます。とくに19世紀の後半になって問題が出てきた。つまり外国人の両親のもとでフランスで生まれた子どもをどう考えるかです。

 というのも、フランスで教育を受けた外国人の子どもが外国人ということで兵役を免除されるのに、フランス人の子どもは兵役に就かないといけない。それは不公平だと考えられたのです。同じようにフランスで生まれフランスの学校で教育を受けながら義務がちがうというのはおかしいと。それで生地主義という考え方が再登場しました。

 この外国人の子どもたちは社会学的にはフランス人です。しかしフランス人としての義務を果たさないのはおかしいからと、国籍法を見直すことになった。つまり義務についての平等という視点から出てきました。

――兵士の数を確保する意図もあったのですか。

 大量の兵力を必要とするのは第1次大戦後になります。というのも当時すでにドイツが軍事力を強めていたからです。

Ankor Light/Shutterstock.com

アイデンティティーとはルーツではない

――日本は人口減少に苦しんでいます。その一方で、外国にルーツを持つ人が国民になることに慎重な考え方をする人も少なくありません。

 加重生地主義だったら、日本政府も関心を持つのではないでしょうか。というのもそれはものごとをゆっくりと進めることになるからです。

――どんな考え方ですか。

 外国にルーツがあっても少なくとも両親のどちらかが日本で生まれていて、その子どもも日本で生まれたならば、生まれながらの日本人とみなすという考え方です。

 これは良識にもかなっています。つまり3世代にわたって日本に暮らすということになるのですから。日本語を話し、日本人の友人を持ち、すっかり日本の社会に溶け込んでいる。ならば日本人とするのは当然のことでしょう。そんな法律ができて、そのあとに子どもが日本で生まれ、その親のうち一人がすでに日本生まれなら、その子は日本人になります。

――日本の場合、日本人のイメージは、民族とか人種といった色合いを帯びることがよくあります。

 混じりっけのない人種という概念は神話です。たとえば、ドイツには血統主義にこだわった時期があります。しかし19世紀、フランスの歴史家たちは、プロイセンを欧州における人種のるつぼの唯一の例だとみなしていました。

 私は日本に詳しいわけではないけれど、それでもこう確信している。たとえば、19世紀以前に中国の漁師が舟で日本にたどり着き、そこに住みついて子どもを作るというようなことはきっとあったでしょう。そして、その人たちの子孫はもう日本人でしょう。今の日本人のDNAを調べれば中国系も韓国系も見つかるにちがいありません。海を通っての人の往来や交流があるのですから。

 今はもう人種みたいな考え方にはなんの意味もない。それは生物学の知見が明らかにしていることです。

 もし人種のような生物学的な発想をするのであれば、生物学的にしらべればいい。そうすれば、日本人が思う以上に日本人には多様な出自があることがわかるでしょう。

 つまりアイデンティティーとは、話している言葉など社会学的に定義されることであってルーツではないのです。日本的なものはいろいろあるでしょう。フランス人についていえば、言語や文化だとか、あるいは世俗主義という姿勢だとか、それらがフランス人のアイデンティティーを形づくっています。

 20世紀初めに、ナショナリストたちは加重生地主義を攻撃の的にしました。それはとりわけ反ユダヤ主義的な攻撃でした。日本でだって議会が加重生地主義という考えを採用しようとすれば反発はあるかもしれません。

 しかし私は、日本人も大多数は、日本で生まれた人の子どもが日本で生まれれば日本人になるというのは当然だとみなすに違いないと思う。

――日本人は、外国人に閉鎖的といわれがちだけれども、柔軟に対応できるだとろうというわけですね。

 私が初めて日本を訪れた1994年当時は、街中の表示は日本語ばかりでした。でも最近はアルファベットでも表記してある。これは日本社会が閉鎖的でなくなっていることの印だと思います。外からの人を受け入れようとしている意思の表れでしょう。おかげで今では通訳ガイドなしで町を歩ける。前は地下鉄に乗るにも助けが必要だったのに。

 それに、日本のような国で事実上日本人となっている外国人に国籍を与えるのは、社会の公的な秩序という点でも理由のあることです。

 たとえば、彼らが外国人のままだと、その出身国に保護され続けることになります。中国人であれ韓国人であれタイ人であれフィリピン人であれ、3世代にわたって日本に住んでいてもそれぞれの国の国民ということになると、それぞれの国が自国出身者についてものを言う権利を持つことになります。日本国内で彼らに関わる問題が生じると、介入する口実になり、外交問題にも発展しかねません。でもすでに日本人になっていれば問題になりません。

 フランスの保守主義者の間では、事実上のフランス人を外国に依存させないという点で一致していました。これはフランスの保守派にとってとても大事な論点です。

 もし日本の保守派が外国人を恐れているとするなら、彼らは外国からの介入を恐れないのでしょうか。それは奇妙です。とくに韓国出身者は日本に非常にたくさん暮らしています。韓国がその人たちの保護を名目に日本領土内での問題に介入することを受け入れるとすればとても奇妙だと思いますが。

ローマにいると生地主義、ローマの外に出ると血統主義

――かつて、フランスの右翼政党、国民戦線(現国民連合)の党首だったジャンマリ・ルペン氏は外国にルーツを持つ人に閉鎖的な日本の国籍法が自分たちの理想だと話していました。

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