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鳩山由紀夫「普天間基地は国外に移転できた」

(29)鳩山由紀夫に「民主党政権の挫折」を聞く・下/普天間移設

佐藤章 ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長

浮かんで消えた「徳之島移転」

 沖縄政策に取り組んできた民主党は、政権交代の前年の2008年7月8日、沖縄問題の政策の柱となる「民主党・沖縄ビジョン(2008)」を策定した。米軍基地縮小や日米地位協定の抜本的な見直し、思いやり予算の削減などを盛り込んでいるが、普天間基地の移転問題についてはこう記している。
 「普天間基地の移転についても、県外移転の道を引き続き模索すべきである。言うまでもなく、戦略環境の変化を踏まえて、国外移転を目指す」

――鳩山さんは2009年7月19日の沖縄での集会で、普天間基地の移設場所について「最低でも県外。できれば国外を目指す」と発言され、その後大きな政治問題の渦を巻き起こしました。しかし、前年7月に策定された民主党の「沖縄ビジョン」にはまったく同じことが明記されています。大げさではなくて、沖縄にとっては明治以来初めて沖縄の声に耳を傾けてくれる首相、政権の誕生となったわけですね。

鳩山 そうです。ですから、そう言ったことについて、私は間違ったことを言ったとは考えていません。党の「沖縄ビジョン」にもはっきり明記されているわけですから。

――その県外移転を目指して、国内では徳之島が有力候補に挙がりました。その経緯はどのようなものだったのでしょうか。

鳩山 それは、徳之島の方から、ぜひ来てほしいと言ってきたのです。ところが、そう言われて動いてみたらとんでもない反発が起きてしまって、それでみんな変わってしまいました。

 本来ならば、県外であっても国内的にあのような騒乱状態にならず冷静を保つことができれば、地元としては来てもらいたいと思っているところがあったわけです。そこはメディアの難しさだろうと思うのですけれど、危険だということが大きく喧伝されてしまうと反対の方向に行ってしまう難しさがありました。

 そのあたり、小沢(一郎)さんがこの問題で登場していたらどうなったかということは、私にもよくわかりません。いろいろ批判されていますが、例えばもっと早い段階で徳田虎雄さんに会っていたらどうなっていたかとか。確かにもっとうまく段取りを組んでいれば、違う結論になったかもしれません。

拡大徳田虎雄氏
 徳田虎雄は1938年兵庫県生まれ。鹿児島県・徳之島町出身。弟の急死をきっかけに医師を目指し、大阪大学医学部を卒業後徳田病院を開設、さらに医療法人徳洲会を設立した。「生命だけは平等だ」という理念の下に医療にまい進、徳洲会を全国展開した。
 医療改革の基になる政治改革を志し、衆院議員を4期務めた。筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症して政界を引退したが、出身の徳之島に大きい影響力を持つ。

――徳之島の方から最初に言ってきたというお話でしたが、徳田虎雄さんから言ってきたのですか。

鳩山 いや、最初私は徳田虎雄さんに言わなかったのです。それが、早い段階で「徳之島からこういう話が来ているので、ぜひ成就させたい。ついては力を貸してください」と徳田さんに頼みに行けばよかったんです。

 2009年12月ごろだったと思いますが、徳之島の方から青年たちがやって来て、それから町長もやって来て「ぜひ」という話があったんです。そういう話は当然表に出ると危ないので、どうやったらうまく落ち着かせることができるだろうかと考えた時はあったんですが。そのころに徳田さんに連絡をして、うまく地元を押さえてほしいということをお願いしていれば、うまくいった可能性もなくはないと思っています。

 ただ、今から考えると、米軍基地はこれ以上国内に増やす必要はないと思っていますので、徳之島に決まらなくてむしろよかったと思っています。

 もちろん、当然辺野古でもない。つまり海外に代替地を求めていくべきであると思っています。だから、結果は徳之島でなくてよかったのかもしれませんが、その時のやり方、段取りとして、もっとうまくやっていれば落ち着かせる可能性はあったと思います。

――鳩山さんはその後、徳田さんにお会いしていますよね。

鳩山 ええ。2010年5月の段階だと思います。

――5月ですか。

鳩山 ぎりぎりですよ。その時にALSを発症されていますから、眼だけで信号を送っておられて、それで「もう今となっては遅い」というお返事でした。亀井静香先生あたりから、徳田さんと連絡を取ってうまくやるべきだというお話を前からいただいていたのですが、遅くなってしまいました。そういう意味で非常に残念だったと思っています。

――そういうことですか。なるほど。

鳩山 ただ、私が最終的に国内をあきらめたのは、沖縄の基地と訓練場所が65海里(約120キロ)以内でなければならないという話を外務省から聞かされたからです。

 自分としてはこれで万事休すと思ったわけですが、このことも、例えば小沢さんだったら「そんな話はないぞ」とか、米国との交渉の過程で「そんなものはない、外務省から出ているだけの話ではないか」とか、そんな風になったかもしれない。小沢さんであれば、そういう突破力を持っていたかもしれません。

――その「沖縄の基地から訓練場まで65海里以内」という話は外務省から出た話なのですか。それとも、米国から出た話なのですか。

鳩山 外務省が、米国から言われて、という話です。

――外務省がそう言うのですね。

鳩山 これはアメリカ側と交渉させた中で、65海里以内でないと移せませんということをアメリカ側から外務省が示されたということでした。基地から訓練場に行くまでの時間が2時間かかるので、訓練の準備ができないという話でした。

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筆者

佐藤章

佐藤章(さとう・あきら) ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長

ジャーナリスト学校主任研究員を最後に朝日新聞社を退職。朝日新聞社では、東京・大阪経済部、AERA編集部、週刊朝日編集部など。退職後、慶應義塾大学非常勤講師(ジャーナリズム専攻)、五月書房新社取締役・編集委員会委員長。最近著に『職業政治家 小沢一郎』(朝日新聞出版)。その他の著書に『ドキュメント金融破綻』(岩波書店)、『関西国際空港』(中公新書)、『ドストエフスキーの黙示録』(朝日新聞社)など多数。共著に『新聞と戦争』(朝日新聞社)、『圧倒的! リベラリズム宣言』(五月書房新社)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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