(30)辺野古移設に反対だった鳩山由紀夫、そして小沢一郎に聞いた
2020年01月20日
公文書改竄や廃棄など信じがたい不祥事を繰り返しながら、安倍政権が実りのない旧態依然とした政治を延々と続けている。
この日々の中でふと考えるのは、民主党政権に地滑り的勝利をもたらした、日本政治を変えていかなければいけないというあの国民的熱意は一体どこへ行ってしまったのだろう、という疑問だ。
言葉を換えて言えば、世の中を変革したいという希望と正義感に満ちた若い元気な国民が、何をしたって世の中は変わらないという諦念と小さい利己心に押し潰された老い先短い狡猾な国民にそっくり入れ替わった。こんな国家的なミステリーに包まれている国、それが現在の日本だろう。
こんな風に国民の心理的側面が大きく入れ替わったその日付は、2010年9月14日だろう。「小沢一郎戦記」第10回『小沢一郎と鳩山由紀夫、それぞれの「辺野古」』でも指摘したが、この日、民主党代表選で小沢一郎が菅直人に敗れた。
菅直人はすでにこの年6月4日に党代表となり、辞任した鳩山の後を継いで首相となっていたが、突然消費税率を5%から10%に引き上げることを口にして世間を驚かせた。その目指す政治は、内政面で言えば、消費税増税、法人税減税の経団連政策、外交面で言えば、沖縄・普天間基地の辺野古移転をそのまま認めたことに象徴される米国追随政策だった。
私はよく記憶しているが、東京・芝公園にあるザ・プリンスタワー東京で行われた民主党代表選で、小沢は朴訥な調子で普天間飛行場の辺野古移設問題を取り上げた。
「日本政府は、まだ米国と本当には話し合っていない。だから、米国とはまだ話し合いの余地はある。沖縄県ともまだまだ十分に話し合っていかなければいけない」
鳩山が「県外、国外」をあきらめ、「辺野古で決まりか」と思われていた時期だけに、私は意表を突かれる思いがした。
意表を突かれると同時に、本物の「政治の声」だと思った。
私は、元外務官僚で母親が沖縄県出身の評論家・佐藤優や、立教大学教授だった李鍾元(現早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授)に話を聞いた。両氏ともに小沢の見解を高く評価し、後方展開を大きい方針とする米軍再編の中で、海兵隊を沖縄から外へ移す小沢の考え方を肯定した。
しかし現実政治の動きは菅直人に代表選勝利を与え、「小沢一郎戦記」でこれまでに紹介したような画期的な予算編成プロセスや、海兵隊基地の国外移設への悪戦苦闘などは何もなかったかのように忘れ去られた。
そして安倍政権になって、ついに大量の土砂が青い海に投げ込まれ始めたのだ。
普天間問題の側面から浮き彫りにされる民主党政権の挫折について、鳩山由紀夫と小沢一郎にそれぞれ話を聞いた。
――鳩山さんが首相を辞任された後、2010年6月4日と9月14日に民主党代表選が実施されました。9月の代表選では、菅直人さんと小沢一郎さんの一騎打ちとなりました。私はその時の小沢さんの演説をよく記憶しているのですが、「普天間問題はアメリカとまだよく話し合っていない。これからまだ十分話し合っていく余地はある」と話しました。また、小沢さんは個人的には「辺野古には作らせてはいけない」と何度も発言しています。そうすると、鳩山さんは孤軍奮闘するのではなく、小沢さんの協力を得ていれば、かなり違った展開になったのではないでしょうか。
鳩山 そうかもしれません。もっと私の方から積極的に助けを求めて、「小沢さん、どう考えておられるのですか」という話をすればよかったのでしょう。しかし、そのチャンスがなかったですね、あの時。
――そうですか。
鳩山 本当に任せていいんだなと小沢さんがおっしゃっていたことはあったので、その時にこちらも、いや大変苦しんでいるので力を貸してくださいと申し上げていれば、そこで変わっていた可能性はあります。
アメリカの考え方はもっと柔軟であるということは小沢さんはわかっておられたと思うのですよ。そこで突破口を開いて穴を開けることが、小沢さんならできたかもしれません。
普天間基地を「県外、国外」に移すことについては民主党が政権を取る1年前に策定した「沖縄ヴィジョン」に明記されていた。政権を取るに当たっての同党の沖縄政策の柱の一つだった。
しかし、いざ政権の座に座った直後、その旗を高らかに掲げていたのは首相の鳩山ただ一人。外相の岡田克也も防衛相の北澤俊美も努力するふりさえ見せずに早々に尻尾を巻いて退却した。
国家戦略相から財務相となった副総理の菅直人は終始沈黙を守り、首相になってからは普天間問題の所在さえ菅やその周囲の人の口の端に上らなくなった。
問題の所在を明確に頭に刻み、現在においても問題意識を持ち続けているのは、旧民主党の要職に就いていた政治家の中では、鳩山を除けば小沢一郎ただ一人だ。
――2010年の民主党代表選で小沢さんが語った「普天間についてはアメリカとこれからまだ話し合う余地はある」という言葉はよく覚えています。小沢さんの当時の考えとしては、米国は辺野古に本当はこだわっていないんじゃないかと。そういう風に思われていたのですね。
小沢 今だってそう思いますよ。これは、アメリカの基本的な世界戦略、軍事戦略を考えれば当然のことです。辺野古に基地は要りません。海兵隊、軍人は欲しがるかもしれません。しかし、軍人が欲しがったって政治的には大したことではない。沖縄で深刻な摩擦が起きればマイナスになるだけです。そんなことは政治家ならすぐにわかることです。
――しかも、米国の基地再編戦略は、前線から後方に引いていくというものですよね。
小沢 事実、引いています。それから、海兵隊そのものが沖縄にはあまりいない。
――そうですよね。そもそも沖縄にいる海兵隊はローテーション部隊ですね。
沖縄駐留の海兵隊の中核、「第31海兵遠征部隊」(31MEU)の実態は、部隊の動向を記録したコマンドクロノロジー(部隊年報)によると、1992年の配備から2017年までのほとんどの年で100日以上沖縄を離れて日本国外に出ていた。
2009年の年報には、1月沖縄、2月タイ、沖縄、4~5月フィリピン、沖縄、7月オーストラリア、沖縄、10月フィリピン、インドネシア、11月沖縄、というローテーションが記され、この年は少なくとも約160日海外で訓練などをしていた。また、歩兵を中心に半年ごとに交代、主に米国本土から隊員が来るたびに訓練を繰り返している。(以上は、2019年3月31日付朝日新聞による=『小沢一郎と鳩山由紀夫、それぞれの「辺野古」』参照)
小沢 沖縄にはわずかしかいないんです。それで、土地は他にもあるんです。あんな綺麗な海は今でも埋め立てる必要はないんです。
――そうですか。それで、鳩山さんが「最低でも県外、あるいは国外」と発言された時には、小沢さんとしてはその考えに賛成だったわけですよね。
小沢 ぼくは、辺野古には要らないという意見です。しかし、そのためには、日本はきちんと米国にそのことを言えなくてはならない。
ただ、それを言うためには、国土防衛のための軍事的な負担をしなければならない。自分は寝ていて、他人にいいことをしてもらおうという気持ちではどうしようもないんです。それをぼくは国民には言いたいんです。
――なるほど。ということは、小沢さんが閣内に入って政府内で発言権があれば、普天間問題も、辺野古移転を抜きにして進展した可能性があるわけですね。
小沢 進展したというか、間違わないで済んだと思います。相談を受ければですね。
――小沢さんが幹事長になられた時のことを鳩山由紀夫さんに聞いてみました。なぜ小沢さんを幹事長として閣内に入れなかったのか、という質問に対して、鳩山さんは、「当時自分に加えて小沢さんへのバッシングが激しかったため、二人そろえば風当たりが相当強くなってしまうのではないかと危惧した」という趣旨のことをおっしゃっていました。そのあたりのことはいかがですか。
小沢 それは天下国家のことではありません。バッシングと言ったって、その前にあれだけ叩かれて、それでも天下を取ったんです。何も怖がることはなかったんです。
あの時、党本部の代表室で、鳩山さんと菅さんがいましたね。輿石(東)さんもいたかもしれませんが、それはちょっと忘れました。そこで鳩山さんに「政府のことには口を出さないでほしい」と言われました。マニフェストには幹事長も閣内に入ると書いてありましたから、これもマニフェスト違反なんですね。
――エッと思われましたか。
小沢 意外に思いました。マニフェストとは違って、そういうことになるのかという意外さはありました。けれども、鳩山さんは代表であり総理ですから人事権を持っているわけです。
――「なぜですか」と聞いてみなかったのですか。
小沢 聞いてみたってしょうがないじゃないですか。理由を聞いたって意味がないです。「こうしてくれ」と言われているわけだから、どうしようもないでしょう。もともとぼくは、ポストなどどうでもいいと思っていましたから。
けれども、鳩山さんは対立する人も閣内に取り込んでうまくいくと思っていたのかもしれませんが、何かの時に、閣内でかばってくれる人は官房長官の平野(博文)さん一人になってしまったわけです。当時、平野さんでは党内はとてもコントロールし切れないと思いました。
――国家戦略局のケースと同じで、やはり小沢さんが閣内に入っていれば、普天間、辺野古は今とは違った形になっていましたか。
小沢 ぼくは日米交渉は何度もやっていますから。だから、ぼくが閣内に入っていれば「これはこうで、これはこうなる」というように言えるし、相談もすぐにできました。だけど、「政府には口を出さないで」と言われていましたから、仕方ありません。
――例えば小沢さんが総理であれば、まず最初に米国と交渉しますか。
小沢 まずアメリカと話をします。話をつければいいんです。最初に「県外、国外」というように発言せずに、まずアメリカと話さなければどうしようもないでしょう。
――なるほど。まず第一にそこですね。しかし、米国と話をするにしても、辺野古以外の候補地というのは必要になるという考え方もありますね。
小沢 それはわからないではない。しかし、軍人と政治家とではまた考え方が違うんです。だから、話してみなければわかりませんが、軍人は欲しがるでしょう(後でわかったことですが、軍〈海兵隊〉も実は必要としていない)。だけど、政治家はそんなリスクを抱え込むのはかえってマイナスだという判断になるとぼくは思います。
――海兵隊はグアムに本部があるわけだし、グアムとテニアンに移ればいいだけの話なんですよね。
小沢 そうなんです。自衛隊もいて、嘉手納の基地もあるわけですから。
――米国の軍人も本音のところではテニアンが最適地だと思っている。テニアンに視察に行った防衛省の関係者からそう聞きました。そうすると、安倍政権はなぜここまで辺野古に固執しているのでしょうか。よく指摘されるように、辺野古を埋め立てる利権といったものが背景にあるのでしょうか。
小沢 政府がそういう理由だけでやっているわけではないと思いますが、外務、防衛省を含め、推進する者の中にはそういう利権絡みの話も出ていることはまちがいがありません。
だけど、安倍さんの感覚は、一度日本政府でやると言ったことだから「やるんだ」ということではないでしょうか。それともう一つは、日米同盟の強化を演出する必要があるということでしょう。その2点だと思いますね。
――しかし、鳩山さんの後、菅さんも野田(佳彦)さんも沖縄の声をまったく素通りしてしまいましたね。
小沢 役人の言う通りでした。
――沖縄の意思を第一にするという最初の志は、カケラも見えなかったですね。
小沢 国民から見放されるのは仕方ないと思いました。
――小沢さんが米国と話をしようとする場合、交渉相手は誰を想定されますか。
小沢 直接的には国防総省だろうけど、政治的な話は国務省ですね。
――話は少し変わりますが、小沢さんは個人的な草の根国際交流も重ねているんですよね。
小沢 個人的にアメリカの高校生を日本に呼んだり貧しい黒人地区の小学生を呼んだりしています。かわいらしい小学生たちです。けれども、本当に生活が厳しい家の子どもたちなんです。
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