小沢一郎が語る沖縄、米国、そして中国
(30)辺野古移設に反対だった鳩山由紀夫、そして小沢一郎に聞いた
佐藤章 ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長
民主党政権への国民的熱意が消えた日
公文書改竄や廃棄など信じがたい不祥事を繰り返しながら、安倍政権が実りのない旧態依然とした政治を延々と続けている。
この日々の中でふと考えるのは、民主党政権に地滑り的勝利をもたらした、日本政治を変えていかなければいけないというあの国民的熱意は一体どこへ行ってしまったのだろう、という疑問だ。
言葉を換えて言えば、世の中を変革したいという希望と正義感に満ちた若い元気な国民が、何をしたって世の中は変わらないという諦念と小さい利己心に押し潰された老い先短い狡猾な国民にそっくり入れ替わった。こんな国家的なミステリーに包まれている国、それが現在の日本だろう。
こんな風に国民の心理的側面が大きく入れ替わったその日付は、2010年9月14日だろう。「小沢一郎戦記」第10回『小沢一郎と鳩山由紀夫、それぞれの「辺野古」』でも指摘したが、この日、民主党代表選で小沢一郎が菅直人に敗れた。

民主党代表に再選された菅直人首相(左)と一礼する小沢一郎前幹事長=2010年9月14日、東京都港区
菅直人はすでにこの年6月4日に党代表となり、辞任した鳩山の後を継いで首相となっていたが、突然消費税率を5%から10%に引き上げることを口にして世間を驚かせた。その目指す政治は、内政面で言えば、消費税増税、法人税減税の経団連政策、外交面で言えば、沖縄・普天間基地の辺野古移転をそのまま認めたことに象徴される米国追随政策だった。
私はよく記憶しているが、東京・芝公園にあるザ・プリンスタワー東京で行われた民主党代表選で、小沢は朴訥な調子で普天間飛行場の辺野古移設問題を取り上げた。
「日本政府は、まだ米国と本当には話し合っていない。だから、米国とはまだ話し合いの余地はある。沖縄県ともまだまだ十分に話し合っていかなければいけない」
鳩山が「県外、国外」をあきらめ、「辺野古で決まりか」と思われていた時期だけに、私は意表を突かれる思いがした。
意表を突かれると同時に、本物の「政治の声」だと思った。
私は、元外務官僚で母親が沖縄県出身の評論家・佐藤優や、立教大学教授だった李鍾元(現早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授)に話を聞いた。両氏ともに小沢の見解を高く評価し、後方展開を大きい方針とする米軍再編の中で、海兵隊を沖縄から外へ移す小沢の考え方を肯定した。
しかし現実政治の動きは菅直人に代表選勝利を与え、「小沢一郎戦記」でこれまでに紹介したような画期的な予算編成プロセスや、海兵隊基地の国外移設への悪戦苦闘などは何もなかったかのように忘れ去られた。
そして安倍政権になって、ついに大量の土砂が青い海に投げ込まれ始めたのだ。