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中国における「日本人スパイ狩り」の背景

陳文清氏の国家安全省トップ就任が意味するもの

柴田哲雄 愛知学院大学准教授

西南政法大学、馬建氏との関係

 まず、陳文清氏のプロフィールからみることにしましょう。陳文清氏は諜報機関のトップなだけに、そのプロフィールについては不明な点が多々あります。公的な発表によれば、陳文清氏は1960年1月に四川省の省都・成都市から南に50キロほどのところにある眉山市仁寿県で出生しました。仁寿という地名は1400年ほど前の隋朝のころから使われており、仁寿からは古来、幾多の著名な人物が輩出されています。

 陳文清氏の父親は、20年連続で四川省の模範的人物に選ばれるほどの優秀な警察官でした。若き日の陳文清氏はその父親から大きな影響を受けます。たとえば陳文清氏は、中国最高学府の「清華大学や北京大学に十分合格できるだけの点数を引っ提げて、西南政法大学法律学部に出願しようと固く決心していたが、そのように決心したのは父親の影響を深く受けていたからだ」と回想しています。陳文清氏は父親からかねがね西南政法大学法律学部への進学を強く勧められていたのでしょう。陳文清氏は念願がかなって、1980年9月に入学することができました(84年7月に卒業)。

 西南政法大学は日本ではそれほど知られていませんが、かつて蔣介石率いる国民党軍の将校を輩出した黄埔軍官学校になぞらえて、「法学界の黄埔軍官学校」と言われるほど、今日の中国の政界や法曹界に数多の人材を送り出しています。その筆頭は、陳文清氏と同い年ながら、一足早く1978年に入学した周強氏です。周強氏は湖南省のトップを経て、今日最高人民法院(日本の最高裁に相当)のトップの座にあります。清華大学や北京大学ではなく、ほかならぬ西南政法大学を目指すようにという父親の勧めも、あながち的外れなものではなかったのです。

 ここで注目すべき点とは、陳文清氏が国家安全省党委員会書記に就任するのと前後して、反腐敗闘争により失脚した同省前副大臣(テロ・スパイ防止担当)の馬建氏が、陳文清氏よりも4歳年長ながら、クラスメートだったことです。また両者は、西南政法大学のOBにして、国家安全省元副大臣の牛平氏によって、ともにひきたてられています。陳文清氏と馬建氏との間で、なにがしかの交流があったことはまちがいないでしょう。

 なお、馬建氏はかの周永康氏の人脈に連なっていました。周永康氏とは、江沢民派の大物にして、胡錦濤政権時代のチャイナ・ナイン(共産党中央政治局常務委員)の一人でありながら、反腐敗闘争により失脚した人物です。周永康氏の命令の下で、馬建氏は国家安全省の諜報網を利用して、習近平氏や李克強氏らの個人ファイルを作成していたとのことです。

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筆者

柴田哲雄

柴田哲雄(しばた・てつお) 愛知学院大学准教授

1969年、名古屋市生まれ。中国留学を経て、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程単位取得退学。2002年以来、愛知学院大学教養部に奉職。博士(人間・環境学)を取得し、コロンビア大学東アジア研究所客員研究員を務める。主著に、汪兆銘政権とヴィシー政府を比較研究した『協力・抵抗・沈黙』(成文堂)。中国の亡命団体に関して初めて本格的に論じた『中国民主化・民族運動の現在』(集広舎)。習仲勲・習近平父子の生い立ちから現在に至るまでの思想形成を追究した『習近平の政治思想形成』(彩流社)。原発事故の被災地にゆかりのある「抵抗者」を発掘した『フクシマ・抵抗者たちの近現代史』(彩流社)。汪兆銘と胡耀邦の伝記を通して、中国の上からの民主化の試みと挫折について論じた『汪兆銘と胡耀邦』(彩流社)。

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