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日韓外交のブレーン小此木教授の原点

小此木政夫さんに聞く「朝鮮と日本の過去・未来」(1)

市川速水 朝日新聞編集委員

朝鮮半島の共産化は避けられず

 小此木さんは大学を定年退職した後、改めて大作に挑んだ動機について「地域研究と国際政治の両側面から50年近く研究し、大局を見る目がやっとできてきたからでしょうか…」と謙遜気味に語る。

小此木「できるだけ易しく、物語風に書いたつもりですが、いや、物語にはなっていないかも(笑)。日本の敗戦のタイミングが朝鮮分断にいかにかかわっていたかを改めて分析したのですが、負けるタイミングまで日本に責任があると言っているわけではありません。朝鮮分断は結局、米ソによるものだったということ。そのなかで、日本は舞台を設定したというか、敗戦までは朝鮮半島は日本の領土だったわけですから。その意味で分断に責任が全くなかったということでもないのです」

 歴史に「もし」は禁句だが、原爆が登場せず、分断や占領がなかったら?

小此木「大国の勢力圏争いのようなものが起きなければ、中国と同様に朝鮮半島でも民族主義者と共産主義者の内戦が起きたのではないでしょうか。そしてどちらかが勝ったでしょう。共産軍が勝った可能性が高いと思います。仮に一時的に民族派が勝ったとしても、中国の国共内戦(=国民党軍と共産党軍の内戦)の延長で敗れたと思う。共産軍が旧満州の方から朝鮮北部へ入って来たと思います。朝鮮半島の共産化を避けるのは難しかったわけです。それが良かったか悪かったかというのは我々が判断することではないでしょう。共産主義国家になっても国が統一していたらよかったと思う人もいたでしょうから」

 小此木さんは1945年4月生まれ。敗戦の4カ月前だった。

 小此木さんの言う「70歳を過ぎてからの大局観」には理由がある。研究対象と現場感の積み重ねだ。

小此木「韓国で言うと、解放っ子、『ヘバン・ドンイ』と呼ばれる世代です。政治的にはノンポリだったものですから、慶応大学で朝鮮研究を始める時も、よく日本のインテリが語るような、政治的な動機みたいなものはありませんでした。はじめは中国研究をやりたくて、石川忠雄先生(=後に塾長)の門をたたいたのです。石川先生は中国共産党史研究の権威だったし、そのころは中国文化大革命の最中でもありました。ところが石川先生から『自分の弟子に中国研究をやる者はたくさんいるから、朝鮮研究をやってみないか』と勧められました。それで朝鮮研究に衣替えしたわけです。急な衣替えですから、いきなり韓国のことはできやしない。北朝鮮の共産主義の研究に入りました」

 さらに、大学院の時に大阪市立大から国際政治学の第一人者、神谷不二教授が慶応に招聘され、その門下に「トレード」された。国際政治学は、まだ新たな学問として台頭する途上の分野だった。

小此木「半ば強制的でしたが、地域政治と国際政治のリンケージ(連結)という新しいテーマに取り組むことになりました。この二股、二本足でずっとやってきたことが、その後の研究に大きな影響を与えました。
 世に出た最初の論文は1972年7月の『アジア経済』(アジア経済研究所)に載った『北朝鮮における対ソ自主性の萌芽 1953―55』というものでした。副題に『教条主義批判と〈主体〉概念』と付けました。
 北朝鮮では朝鮮戦争後の復興期に、経済建設路線をめぐって重工業優先を主張する金日成(キム・イルソン)と消費財を重視する反対派の間で権力闘争が起きました。ソ連内の権力闘争を背景とするものだったのですが、1955年に入り、北朝鮮内では反対派が教条主義であると批判を受け、その過程で『主体』(チュチェ)という概念が誕生します。それが北朝鮮の掲げる『チュチェ思想』の出発点です。北朝鮮は戦前から主体思想があったかのように言いますが、そのようなことはなく、1955年にスタートしたのです。
 その後しばらく、朝鮮半島をめぐる国際政治に関心が移り、朝鮮戦争の研究に従事しました。分断研究の原点には戦争研究がありました」

朝鮮の「分断」と「ナショナリズム」が戦争の遠因

 朝鮮半島の分断は、南北関係にも、冷戦の最も象徴的な場所という意味でも、日本の戦後補償にとっても、アジアや世界に大きな影響を与えてきた。

 ただ、一般的には、南北分断を固定化したのは1950年6月に勃発した朝鮮戦争ではなかったのか? 少なくとも筆者はそう思っていた。だが、小此木さんは、前後関係が逆だったという。

小此木「半島分断と朝鮮戦争との関係でいえば、分断がなければ戦争はなかったということです。昔からずっと仮説として考えていたことですが、終戦直後に分断された朝鮮を何とか統一したいと、朝鮮の内部的な欲求(ナショナリズム)の高まりがまずあり、それが米ソ対立を戦争にまで引き込んだ要因だったのではないかということです。その仮説が今回、研究によって改めて証明されたと思っています」

 小此木さんの「現場感」の話でいえば、1972年から74年にかけて韓国・延世(ヨンセ)大に留学したことがスタートだった。交換留学は今こそ珍しくないが、小此木さんは慶大と延世大の間で結ばれた協定によって派遣された最初の慶大生だった。

拡大1980年代以降は識者座談会の常連になった小此木政夫さん(右奥)=東京・築地の朝日新聞東京本社

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筆者

市川速水

市川速水(いちかわ・はやみ) 朝日新聞編集委員

1960年生まれ。一橋大学法学部卒。東京社会部、香港返還(1997年)時の香港特派員。ソウル支局長時代は北朝鮮の核疑惑をめぐる6者協議を取材。中国総局長(北京)時代には習近平国家主席(当時副主席)と会見。2016年9月から現職。著書に「皇室報道」、対談集「朝日vs.産経 ソウル発」(いずれも朝日新聞社)など。

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