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アフリカの国を変えるディアスポラたち

野球人、アフリカをゆく(20)「頭脳帰還」で母国で活躍。野球の記憶も蘇り……

友成晋也 一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構 代表理事

野球をよく知るピーターは説明能力も抜群!野球ボードを使って、英語や時にはジュバアラビックで明瞭な説明を行う。

<これまでのあらすじ>
かつてガーナ、タンザニアで野球の普及活動を経験した筆者が、危険地南スーダンに赴任した。首都ジュバ市内に、安全な場所を確保して、野球教室を始める。2年前に紛争を経験した子供たちにとっては初めて目にする野球だが、5か月が経過し、試合ができるレベルになってきた。そんな頃、ひょんなことから、野球を知るひとりの南スーダン人と出会う。

 「ディアスポラ」。日本ではあまりなじみのない言葉だ。時事用語辞典には「移民や難民などを含む幅広い越境現象や離散民を指す用語」と説明されている。

 たとえば、華僑や印僑はディアスポラだ。出稼ぎで来日在住している日系ブラジル人も広義のディアスポラである。そのなかでも、「African Diaspora」(アフリカ人のデイアスポラ)にはある特徴がある。

 もともと、16世紀から19世紀にかけて、奴隷貿易によって多くの黒人たちが南北アメリカに渡っている。第2次世界大戦後は、紛争などにより、多くの人々が難民化して越境している。いずれも、自らの意思ではないところでディアスポラ化しているところに共通点がある。

アフリカの国々の成長を支えたのは

 21世紀に入り、アフリカでは多くの国が、経済成長を遂げてきた。要因としては、眠っていた鉱物・エネルギー資源の開発、交通手段や流通の発展、情報産業(IT)の発達などがあげられるが、もう一つ重要なファクターがある。それは、ディアスポラの存在だ。

 現代も、多くの課題を抱えるアフリカの国々から、難民や移住といった形で、多くの人々が、家族で、あるいは個人として母国を離れ、先進国や近隣国に居を移している。彼らはその国で教育を受け、あるいはビジネスを経験する。

 そうした人々が21世紀に入り、経済成長や発展を始めた母国に、少しずつ帰還し始めている。彼らは外国の教育を受け、ビジネス経験に加えて、時には資産をもっている。そうした人材が「頭脳帰還」し、母国で活躍をし始める。

 1994年、“人類史上最大の虐殺”を経験したルワンダがいい例だ。当時、80万人から100万人もの人が虐殺され、30万人もの人が国を逃れた(ルワンダ難民は総計で200万人といわれる)。それは「ホテルルワンダ」など、いくつかの映画にもなり、多くの人の記憶には、「アフリカの悲惨な小国」のイメージが染みついているだろう。

 では、現在のルワンダがどのような国になっているか、どれだけの人が知っているだろうか。

 あの大虐殺の起こった年からこの25年間の平均経済成長率は約7パーセント。情報通信技術立国として、高い経済成長を持続し、水道、公衆衛生、通信、電気などのインフラの改善も進んだ。首都キガリは、アフリカのシンガポールと言われ、高層ビルが立ち並ぶ一方、政府主導の市内清掃活動も盛んで、美しい都市環境を維持している。

 このアフリカでもトップクラスの有望国の驚異的と言ってもいいその発展を支えているのは、海外から帰還してきたディアスポラたちと言われる。多少皮肉な見方だが、大量の難民が発生することで、逆に多くの人材が海外で育ち、能力開発、経験、資金などの果実を持ち帰ることで、国に発展をもたらした。強烈なリーダーシップでルワンダを牽引するポール・カガメ大統領自身、もともとはウガンダに逃れた難民であり、アメリカで教育を受けた、ディアスポラなのだ。

 まだ若い独立国、南スーダンも、国民の3分の1の400万人もの人々が避難民となり、そのうち現時点で200万人以上が、国外で難民化している。独立以前からの難民も加えればその累積人数は膨大だ。

 北米やオーストラリア、イギリスなどに、数百万人もの南スーダン人がいると言われる。彼らがいつか、何かを持ち帰ってくれば、人間開発指数世界189か国中186位という、“ザ・低開発国”の南スーダンも変わっていくかもしれない。

グラウンドに現れた有言実行のピーター

 2019年2月下旬の日曜日。練習開始時間より早く到着し、ダイスこと金森大輔と共に防弾車から野球道具を下ろしていると、小型乗用車がグラウンドに入ってきた。グラウンドのわきに停車し、出てきたのは、車のサイズと似つかわしくない大柄な男性。白いTシャツにジャージ、スポーツシューズに満面の笑みで歩み寄ってきた。

 「ミスター・トモナリ!さっそくきました!」

 先週、女子サッカー教室のグラウンドで出会ったピーターだ。毎週日曜日の2時から野球をやっているからと誘ったら、「ぜひ行きたい」と即答した彼は、有言実行の男だった。

ひょんなことから出会ったピーターが初めてグラウンドにやってきた。これまでの野球歴を語るピーター。

 「アフリカあるある」の一つに「イクイク詐欺」がある。簡単に行く、と言っておいて、来ない、という単純なもので、「明日行くから」「今度行くから」が続くというやつ。詐欺というより文化と言ってもいいかもしれない。

 彼らにとって、相手をだますつもりはなく、様々な社会的背景、要因で思い通り進まないのが日常化、常態化しているため、行けなくなっても許容される、という慣習があるのだ。

 「ピーター、ようこそ!すごいね、開始時間前に来るとは思わなかった」とつい本音を言うと、「まだ、アフリカンタイムに慣れてなくて」とアメリカ帰りを背景にした冗談で返してきた。

まさしく典型的なディアスポラ

アメリカの大学を出たあと、中国・北京の科学技術大学院でビジネスマネジメントを学んだピーター。大学院の修了式で。
 「ピーターは何年アフリカにいたの?」と訊くと、「10年間です。26歳の時、2011年に南スーダンに帰ってきました」という。「南スーダンの独立の年に?」「2009年にノースカロライナ州の大学を出て、AT&Tに勤めていたんです。でも、2011年に南スーダンが長年の内戦を経て独立するときき、そのまま仕事をしていくことよりも、祖国に帰りたいと思ったんです」

 「AT&Tって、あの有名なアメリカ最大の通信会社でしょ?それを辞めてまで?」と驚くと、「15歳までは親の仕事の関係で、スーダンの首都ハルツームに住んでいましたけど、当時の南スーダンが僕や家族の故郷でしたから。半世紀もの内戦を経ての独立ですから、歴史的瞬間を母国で迎えたかったんです」と穏やかながら、ハキハキとよどみなくきれいな英語で話すピーター。今34歳の彼は、ジュバ市内のIT系の会社に勤務しているという。

 まさしく典型的なディアスポラだ。

 お父さんは宗教関係者で、アメリカのバージニア州で家族で暮らす機会を得て、ピーターは兄妹とともに、アメリカの現地校に通学することになったらしい。

 「僕はもともとはサッカー少年だったんです。でも、せっかくアメリカにきたんだから、ここでしかできないスポーツにチャレンジしようと思ったんです」とピーター。

サッカーよりも大好きになった野球

ピーターの高校時代の野球チーム。集合写真の後列右から2人目が往年のピーター。右端は野球を教えてくれたコーチ。
 「それで野球を?体格的にはアメリカンフットボールの方があっているような気がするけど」と言いながら、身長180センチ強、体重は100キロ以上はあるであろう大きな身体を私が一瞥(いちべつ)すると、「あの頃はもっと痩せてたんです」と、ばつが悪そうに苦笑した。

 「でも、もっと大きな要因がありました。海外からきた僕の生活指導担当の先生がいて、その人が野球のコーチだったんです。そんなこともあり、野球クラブにはいったのです。いつしか生活指導の時間も野球指導の時間になり、マンツーマンでコーチをしてもらいました」

 「それからずっと野球を?」

 「4年間やりました。最初はルールが難しくて理解するまでに時間がかかりましたけど、そのうちすっかり野球の虜(とりこ)になって。サッカーよりも大好きになりましたね」。そう高校時代のことを思い出しながら話すピーターの表情は、まるで野球少年のようだ。

マイグローブを取り出して

 興味深くてなかなか話が尽きないが、グラウンドにはいつのまにか子供たちが続々と集まってきていた。

 「ピーター、ぜひ一緒に交じってお手本みせてあげてよ」と水を向けると、「10数年ぶりですから、どこまでできるかわかりませんが」と笑いながら、「マイグローブがあるんです」と布袋から少し古びたグローブを取り出した。その大きなサイズは外野手用のようだ。

 練習開始前にみんなを集めてピーターを「アメリカの野球クラブで活躍していた人だよ」と紹介すると、ちょっとどよめいた。初めて「野球を知っている南スーダン人」に出会った驚きなのだろうか。すぐに打ち解けたピーターは、この日から、毎週日曜日の練習に参加するようになった。

ピーターが練習に始めて参加。太陽のような笑顔と野球愛で初日からみんなに溶け込んだ。

野球を知っている二人目の南スーダン人

 それから2カ月くらいたった4月のある日、ピーターから携帯に電話がかかってきた。

 「ミスター・トモナリ!野球を知っている南スーダン人をみつけました!」と、電話口のピーターは、やや興奮気味だ。「ウガンダの学校で野球クラブにし所属し、4年間野球をやっていたそうです。今度の練習に連れていきます!」

 その週末の日曜日(4月29日)の午後。いつも練習をしているジュバ大学のグラウンドに着くと、すでにピーターが一人の青年と木陰のベンチで座って待っていた。立ち上がるとピーターよりもさらに背が高く、185センチ以上はありそうだが、横幅はずっとスリムだ。なかなか精悍(せいかん)な顔つきをしている。

 青年を連れ添って歩み寄ってきたピーターが「紹介します。先日お伝えした野球を知っている二人目の『南スーダン人』です」と、少しおどけながら彼の背中を押す。

ピーター(手前)が連れてきたウィリアムがグラウンドに初登場。
 社交的で人見知りしないピーターと違って、少しおとなしく、笑顔も控えめなその青年は、私から「はじめまして、ようこそ」と手を差し出すと、優しく握り返しながら「ウィリアムです」と初めて声を発した。

 「ウィリアムさんは、どこで野球を?」と訊くと「ウガンダのアルアという町のセカンダリースクールで野球クラブに入ってプレーしていました」という。

 ふと、5カ月前(2018年11月)に南スーダン難民が多く住む難民キャンプを訪れるためにウガンダを訪問した際、首都カンパラに住む旧知の友人ジョパが口にした「ウガンダの野球チームの中に、南スーダン人が混じってましたよ」という意外な一言を思い出した(第8話「野球先進国ウガンダのチームに南スーダンの難民」参照)

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