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ゴーンの「大脱走」がみせつけた日仏の文化摩擦

「許せない」と怒る日本と異なり評価するフランス。ただ、カタルシスなく苦い味も

山口 昌子 在仏ジャーナリスト

インタビューに答える日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告=2020年1月10日、レバノン・ベイルート

 カルロス・ゴーンの大脱走事件は、フランスと日本との広義の意味での文化摩擦というか、価値観の相違をみせつけた。

 ゴーンはブラジル、レバノン、フランスの三つの国籍を持つが、旧仏領のレバノンでの仏式の小、中学教育をはじめ、フランスでの高校及び秀才校ポリテクニック(国立理工科学校)、そして同校の上位成績者数人が進学する MINE(国立高等鉱山学校)で形成されたフランス人としての価値観、人生観を所有している。

ゴーンの「大脱走」を「よし」とする仏世論

 日本の反応が、東京地検を筆頭に森雅子法相から町の声まで官民が一致して、「卑怯だ」「許せない」「怪しからん」と批判、糾弾で溢(あふ)れているのに対し、フランスでは、「劇場型」(仏国営TV「フランス2」)など皮肉な調子はあるものの、スティーブ・マックウィーン主演の米映画「大脱走」を連想させるタイトルを新聞の見出しに取ったところもあり、どこかに「痛快」のニュアンスが読み取れる。

日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告の逃亡を77%の人が正しいと答えたアンケート結果(左下)を伝える1月3日付の仏紙フィガロ=2020年1月3日
 その国民感情を反映するかのように、ゴーンの日本脱出が伝わった直後の仏週刊誌「ルポワン」が1月1日発行の電子版で報じた世論調査では、「よし」とする意見が67.1%と過半数を大幅に超えた。

 理由として考えられるのは、ゴーンが質疑応答を含めた2時間半の記者会見でも声を大にして叫んだ「妻」との「接触禁止」だった。つまり、日仏での「家族感」の相違であり、人権に対する価値観の相違だ。日本ではセックレスの夫婦も珍しくないが、フランスでは愛し合っている夫婦が彼らの意思に反して「会えない」、という事態は想像を絶した悲劇であり、「刑罰」(ゴーン)ということになる。

「家族の絆」「隣人との連帯」が強いフランス

 フランスの移民法には、「家族呼び寄せ制度」が明記されている。正規の移民労働者が一定期間、フランスで働いた場合、家族を呼び寄せる権利がある。つまり、家族は「一緒に暮らすべきである」「家族が離れ離れで暮らしている状態は通常ではない」「不幸だ」というフランス人の基本的価値観、人生観による。

 アフリカの一部では、多重婚がいまだに認められているので、アフリカからは「家族呼び寄せ制度」によって、複数の「妻」とその多数の子供たちが、フランスにやってくる。その結果、大家族に滞在許可証を与え、健康保険などの社会保障制度を適用し、子供たちを通学させることになり、多大な経済的負担が発生する。政権が交代する度に、移民法の改訂問題が浮上し、「家族呼び寄せ制度」が論議の焦点になる場合が多い。

 「家族は一緒にくらすべきだ」との人権重視のフランス的価値観を堅持するべきか、大赤字の社会保障制度や風俗習慣、特にイスラム教とキリスト教の宗教の相違からくる摩擦などを少しでも回避し、「移民反対」の極右の台頭を防止すべか、など議論は尽きない。

 日本ではなぜか、「フランスは個人主義の国」といった固定観念が流布しているが、フランスでは家族の絆も隣人との連帯も強い。週末には両親を訪問したり、両親が訪ねてきたりして一緒に食事をするのが慣習だ。というわけで、ゴーンの夫婦の接触禁止は「刑罰」との指摘は、フランスでは説得力をもって受け取られている。

仏テレビ局TF1が入手した、日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告(中央)の写真。同局によると、大みそかにベイルート市内で妻のキャロル氏(右)と新年を祝う宴を開いている様子が写されている=同テレビ局の映像から

「妻が夫のために偽証するのは当たり前」

 しかも、フランスの法律用語には、「推定無罪」という言葉がある。逮捕されても、裁判で有罪が確定しないかぎり、「無罪」の可能性があるので「無罪扱い」だ。ゴーンが記者会見で指摘したように、約90日の刑務所暮らしや、保釈期間を含めると1年以上の拘束状態は、「異常」ということになる。

 ゴーンが小菅での独房生活で、「シャワーが週2回、医薬品の支給なし」と訴え、「もはや人間ではない」と日本の司法制度を糾弾したのも、フランス人から見れば、決して誇張ではない。

 日本は残念ながら、この点では、国際的に評判を落としてしまった。地検がゴーンの妻キャロルに対し、偽証罪で逮捕状を出したことも、国際的に評価され、勝ち点を挙げることができただろうか。「妻が夫のために偽証するのは当たり前ではないか」というのがフランスの友人の感想だ。

 ゴーンのような大富豪、しかも不正に大金をせしめたとされる人間は“敵”のはずの極左政党「服従しないフランス」のメランション党首も、「断じて受け入れられない過酷な扱い」(1月7日、フランス通信社)と日本の司法制度を非難した。

 日本の司法制度に対するフランスをはじめ国際的な批判は脱走前から多かったので、筆者は個人的には、ゴーン側はこの裁判を、「人権」問題にすり替えて争うのではないかと考えていた。

「自由への渇望」は欧米人の一致した感覚

 さらに、「脱走」は遵法精神に富む日本人にとっては、どんな事情があるにせよ、「悪いこと」との認識が強いと思う。ところが、フランス人の場合、テロやレイプ殺人などの極悪犯人以外は、「脱走」は権力に対する一種の異議申し立てとして“痛快事”の部類に入れる場合が多い。

面会所出入り口の門を閉める東京拘置所の職員=2019年4月25日、東京都葛飾区
 ドゴール将軍は第一次世界大戦中、負傷してドイツ軍の捕虜になったが、ドイツの捕虜収容所から5度も脱走を試みている。2㍍近い長身で目立つため、5度とも失敗したが……。チャーチルもボーア戦争(南アでイギリスとボーア人が南アの植民地化で争った)中に捕虜になったが、脱走に成功した。

 ドゴールとチャーチルの共通点は「貴族」「軍人から政治家」「文豪」と共に、「脱走」も共通点の一つに挙げられている。しかも、二人が互いを大いに認め合った理由の一つと指摘されている。

 もちろん、20世紀の英雄二人の「脱走」とゴーンの「脱走」を同一視するのは、滑稽だし、見当はずれだ。しかし、「自由、平等、博愛」を国是とするフランス人は、「自由」に対する「渇望」が極めて強いと思う。ゴーン脱走を助けた元米特殊部隊のアメリカ人も、その点でゴーンに共感したとの趣旨の発言をしているので、「自由への渇望」や「大脱走」への共感は、欧米人の一致した感覚なのかもしれない。

 余談だが、「ゴーンの父親が殺人罪(本人は無罪を主張しており、免罪説もある)で15年服役した」(「ルポワン」の1月8日の電子版)との情報がある。ゴーンは父親のことをほとんど語っていないので、真相はまったく不明だが、この父親の刑務所暮らしがゴーンのトラウマになっているとの指摘もある。

フランスの大原則は「あくまでも自国民保護」

 日本とフランスの「国家と国民」の関係にも差がある。フランスは「国家はあくまでも自国民を保護する」との大原則のもとに、「外国からのフランス人の引き渡し要請」にはいっさい応じていない。

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