メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

「デジタルな死」を語ろう

サイバー空間とリアル空間が融合する時代の死後の人権

塩原俊彦 高知大学准教授

 2033年という未来を描いた、平野啓一郎著『ドーン』には、主人公の佐野明日人と妻今日子との子、太陽という「拡張現実」(Augmented Reality)が登場する。死んだ子どもを2歳半から育て直すように初期設定されて5歳になったARだ。

 技術が進めば、AIを使って死者をARとして成長させることも可能になるかもしれないのである。物質的な死以外に、「デジタルな死」(Digital Death)を論ずべき時期に突入しているのではないか。

 カール・オーマンとデーヴィッド・ワトソンは2019年公表の論文「死者はFacebookを引き継いでいるか?」で、もしFacebookがいまの割合で拡大しつづけるとすれば、2100年までに死亡ユーザー数は49億人を超えると指摘している。だからこそ、「デジタルな死」にいまからしっかりと向き合い、どうすべきかを含めた議論を展開する必要があると思われる。

ドイツ連邦裁の興味深い判決

Shutterstock.com

 Facebookは2015年になって、ユーザーが死後、自らのアカウントの管理を任せる「追悼アカウント管理人」を選択できる機能を導入した(詳しくはこちらを参照)。

 ただし、ユーザーとして投稿したり、ユーザーのメッセージを見たりすることはできない。Facebookは故人のアカウントにアクセスするためのパスワードを渡すわけではないからだ。Googleの場合にも「アカウント無効化管理ツール」があって、死亡した場合などにGoogleアカウントをどうするかの計画を作成できる。

 問題は、Facebook、YouTube、Instagramなどに投稿される動画や写真などのコンテンツであるユーザー生成コンテンツ(UGC)は無形資産であり、その所有権までは従来認められていない点である。ゆえに、たとえ法廷相続人がアカウント管理人に指名されていても、死者のアカウントを相続してそのカウントにアクセスできるわけではない。

 拙著『サイバー空間における覇権争奪』でも紹介したように、2018年7月12日、ドイツの民事事件の最高裁にあたる連邦裁判所は興味深い判決をくだす。 

 2012年に15歳で死亡した娘が自殺したのか、事故だったのかの究明を求める両親がFacebookに娘のアカウントの開示を請求すると、死後に閉鎖したアカウントであってもプライバシー保護の観点から開示できないとした。そこで、両親は娘のFacebookの内容の開示を求めて裁判を起こしたのだ。

 2015 年の第一審では、両親はFacebookのアカウントのコンテンツは個人の日記ないし手紙と法的に同じようなものであり、相続のように死後、両親に戻されなければならないと主張した。第一審は、娘とフェイスブック間の契約がアカウントに創出されたデジタルコンテンツであっても相続法でカバーされることを認めた。さらに、両親は娘がいつだれとコミュニケーションをとったかを知る権利があるとした。

 だが2017年の控訴審では、憲法たるドイツ基本法で通信のプライバシーが保障されていることを理由に両親の訴えが却下された。加えて、裁判官は娘とメッセージを交換した人々には個人的なデジタルコミュニケーションの保護を受ける資格があるとの会社側の言い分を支持した。

 これに対して、連邦裁は手紙や日記は相続人に渡されるものであり、デジタルコンテンツであっても差別する理由はないとして、逆転して両親の求めを認めたのである。相続は、人の死亡によってその人に属していた財産上の権利義務を一定の身分関係にある者が受け継ぐことだから、フェイスブックのアカウントにあるデータに財産上の価値を認め、その無形資産への何らかの権利を明確に認めたことになる。

「デジタル資産」ごとに異なる対応

 しかし、こうした判断が他国においても適用されるかどうかはまったくわからない。

 そもそも「デジタル資産」と言っても、①電子メール、ブログなどの電子コミュニケーション、②金融口座、③音楽・写真・ビデオのようなデジタル収集品、④クラウドサービスのようなデータベースなどのビジネス・アカウント、⑤ポイントなどのオンライン報酬プログラム、⑥暗号通貨(資産)――などがある。デジタル資産ごとに対応が異なるから、「デジタルな死」の問題を一層難しくしている。

 米国には、デジタル権管理(Digital Rights Management, DRM)という、ユーザーが著作権保持者、装置メーカー、小売業者、その他の仲介者によってなされる、本、映画、音楽、その他のデジタルコンテンツを利用できるかどうかや、どのようにどこでいつコントロールするかをデザインする技術範囲を意味する婉曲表現がある。

Shutterstock.com

 DRMは法律に基づいているわけではない。つまり、法律制定に関する過程を経てつくられたものではない。これはエンド・ユーザー・ライセンス協定(end user license agreement, EULA)であり、小売業者や著作権者に有利になるように個人の権限を制限しようとしている。DRMを行う側は、利用者がデジタル製品を貸したり、修理したり、再販したりするのを厳しく制限し、コピーによる著作権侵害といった損失を防ごうとしているのだ。

 さらに、1998年制定のデジタル・ミレニアム著作権法(Digital Millennium Copyright Act, DMCA)において、著作権で保護されたものへのアクセスを制限するあらゆる技術的措置を回避する(迂回・無力化・除去する)ことを不法としたり(1201(a)条)、複製回数や複製行為を制限・禁止する技術的手段を保護することを認めたり(1201(b)条)された。

 こうしてDRMを破ること自体が処罰の対象となったことで著作権者の立場が強化された。加えて、DMCAの立法趣旨が日本をはじめとする多くの国々で採用された。つまり、死者がたとえ無形資産としてポイントやチャージした残高が残っていたとしても、遺族が引き出したり、引き継ぐことはできないことになりかねない状況にある。

 他方で米国には、2019年8月現在、Revised Uniform Fiduciary Access to Digital Assets Act(RUFADAA)という法律を施行済みの州が41あり、弁護士のような生前にユーザーの信認を受けた者(フィデュシャリー)による特定のデジタル資産へのアクセスや管理が認められている(詳しくは論文「死後のデジタル資産」を参照)。

 キャッシュレス化を進める日本政府は残念ながら、こうした問題について

・・・ログインして読む
(残り:約1160文字/本文:約3937文字)