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韓国学生街で大流行したブルー・ライト・ヨコハマ

日韓の大衆文化交流がもつ歴史的意義についての考察(上)

徐正敏 明治学院大学教授(宗教史)、キリスト教研究所所長

軍事独裁の抑圧への恐怖と反発

 その頃、筆者たちの思想からすれば、当時世界的に流行した「ヒッピー」(hippie)はロマンチックで贅沢なものにみえた。反戦、平和、自然回帰などは、むしろ貴族的な堕落の一端であると思えたのだ。

 当時の筆者たちには人権回復こそが焦眉の急であって、軍事独裁の抑圧への恐怖と反発がもっと大事な問題だった。

 青年たちは厳しく禁止されていた「マルクス」を読み、「マルクーゼ」(Herbert Marcuse)と南米の「チェ・ゲバラ」(Che Guevara)の方にはるかに魅力を感じていた。

 当時の主な音楽の流行は「フォーク」だった。そして歌手チョ・ヨンピルの歌が新村を席巻していた。またヘ・ウニの「第三漢江橋」とイ・ウンハの「夜行列車」が、延世大学の公式応援歌の目録に載りそうな勢いだった。

 そしてなぜかポップソングは筆者の高校時代よりもっと「オールド」が流行していた。

 すでにオールドファッションであったエルビス(Elvis Presley)の「ラブミーテンダー」(love me tender)とビートルズ(Beatles)が新村の街を掌握していたのだ。

 それはおそらく、新村の「LP販売店」やミュージック喫茶店のレコード版資料のリストに、海外の新しいアルバムやニューバージョンが入ってくることがなかった時代なので、「復古の流行」が戦略的に選択されたのかもしれない。

 ところが、特記すべきことに、明らかに日本の大衆文化が完全に遮断されていた時期であるにもかかわらず、その歌だけは非常に広く流行したのである。

 「街の灯かりがとてもきれいねヨコハマ、ブルー・ライト・ヨコハマ」

拡大日本の大衆文化が完全に遮断された1970年代ソウルの新村大学街に大流行していた日本の歌謡曲、いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」のアルバム・ジャケット

 1968年12月に発売されたいしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」が、新村の大学生街に大流行した。当時はまったく日本語を知らなかった筆者も、この歌を口ずさんだことをよく覚えている。

 幾重にも設けられた大衆文化流入禁止の高い壁を越えて、なぜ日本の流行歌が韓国の大学生街で大ヒットし得たのか、不思議なことである。

 ともあれ、それから10年が過ぎた後、筆者が日本に留学したとき、初めて日本の友人と一緒にしたパーティーで、筆者はこの歌をともに歌うことになったのである。(続く)

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筆者

徐正敏

徐正敏(そ・じょんみん) 明治学院大学教授(宗教史)、キリスト教研究所所長

1956年韓国生まれ。韓国延世大学と大学院で修学。日本同志社大学博士学位取得。韓国延世大学と同大学院教授、同神科大学副学長、明治学院大学招聘教授、同客員教授を経て現職。アジア宗教史、日韓キリスト教史、日韓関係史専門。留学時代を含めて10年以上日本で生活しながら東アジアの宗教、文化、社会、政治、特に日韓関係を研究している。主なる和文著書は、『日韓キリスト教関係史研究』(日本キリスト教団出版局、2009)、『韓国キリスト教史概論』(かんよう出版、2012)、『日韓キリスト教関係史論選』(かんよう出版、2013)、『韓国カトリック史概論』(かんよう出版、2015)、『東アジアの平和と和解』(共著、関西学院大学出版会、2017)など、以外日韓語での著書50巻以上。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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