2020年代も路上政治の勢いは止まらない。民主主義にとってデモとはいったい?
2020年01月27日
2020年が始まって間もないというのに、2019年に隆盛した路上の政治の勢いは止(や)みそうもない。どうやら2020年も路上の政治の季節は続きそうである。
元日の香港では103万人の市民が路上に繰り出し、日本でも1月12日には東京をはじめ、列島各地で政府に抗議するデモが行われた。
新宿で開催された「#OccupyShinjuku0112」は、肉球新党やアンティファ(antifa:反差別主義者の総称)のような市民有志を中心に、労働組合の動員に頼らずとも3000人が街中を歩いた。作家の室井佑月や野党の国会議員も多数参加した。
デモ行進後には、新宿アルタ前広場にサウンドシステムが組み上がり、アフターパーティ「#0112新宿プロテストレイヴ」が行われた。DJの行松陽介や、つい先日世界的クラブカルチャー雑誌「mixmag」の表紙を飾ったMars89ら、いまの日本のクラブシーンが揃い踏みだった。
では、そもそも民主主義にとってデモとはどういうものなのか。こうした基本的な意義を改めて確認してみたい。
しばしば勘違いされているのが、政治についてのイメージである。それは多くの人々が考えている選挙=政治というものだ。だが、選挙で政治のすべてが解決できるわけではない。
投票率が上がれば、われわれの意思が政治に反映されると言えるかもしれない。けれども、選挙だけでわれわれの意思が十全に反映されるのかというと、そう考えるのは誤りであろう。
選挙であれデモであれ、われわれ自身のとった行動は、どれだけ国政や地方政治に反映されているか。自身のアクションが意義深く有効だと感じられることを、政治学では政治的有効性感覚といい、その高さを指数化する試みがなされている。
それによると、指数が62%と比較的高いイギリスの国政選挙における投票率は67.3%である。これに対し、同じ西欧諸国のドイツの投票率では、投票率が76.2%にもかかわらず、政治的有効性感覚は38%と低い。イタリアは投票率は72.9%だが、有効性感覚は28%とさらに低い。アメリカも指数は75%と高いのに、投票率は56.8%だ。
ちなみに日本は、政治的有効性感覚18%で投票率52.7%と、先進国で最もふるわない。隣国の韓国の指数30%・投票率58.0%よりも段違いに低い。
こうして見ると、イギリスやアメリカは投票率は必ずしも高いわけではないが、市民の多くは自分の意思が政治に反映されていると考えているようだ。国政選挙で代表を選ぶという“間接民主主義”の意思反映の仕方にくわえ、日々の生活の中で、デモや抗議行動、ボイコット、ストライキなど労働組合の活動、近年ではブレグジットで見られた「リファレンダム」(国民投票)など、さまざまな“直接民主主義”を通じて、自らの意思が反映されているからともいえるだろう。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください