全国公開されているこの映画とゴーン逃亡劇は、日本の刑事司法を考える格好の題材だ
2020年01月24日
時宜を得たというべきかどうか、カルロス・ゴーン逃亡劇に続き、日本の刑事司法のあり方について考える材料を提供してくれる一本の映画が、1月17日から全国公開されている。
『リチャード・ジュエル』。主人公であり実在の人物の名が題名になった作品だが、この名は冤罪事件の年表やメディア史には必ず登場する。
米国人にとって、日本で言えば松本サリン事件の被害者である河野義行さんのような響きを持つと言えばよいだろうか。一時は「アメリカの英雄」としてメディアの寵児に祭り上げられながら、一転して凶悪な爆弾テロ犯に仕立て上げられた男だ。
周囲の目が突如一変する不条理性や権力の非人間性をあぶり出したという点ではカフカの『変身』や『審判』、付和雷同する群集の凶暴性を描いたという点ではイプセンの『民衆の敵』を彷彿とさせる。
しかし寓話的な要素はほとんどなく、捜査手法や報道の課題という現代的なテーマを扱ったドキュドラマだ。
監督のクリント・イーストウッドは4年前にも『ハドソン川の奇跡』で同じ主題に迫っている。この作品も、2009年にニューヨークで起きたUSエアウェイズ1549便の不時着水事故で乗客・乗員を救った機長が英雄として称賛を浴びるその裏で、国家運輸安全委員会から判断ミスの嫌疑を受けるや一転して「被疑者」扱いされた実話に基づく。
もちろんエンターテインメント作品ゆえの限界はあり、個々の問題点への掘り下げは甘い。バッシングを受ける主人公が数少ない仲間と家族の支えによって最後には「正義が勝つ」大団円を迎えるあたりは、イーストウッドらしい正攻法の演出が冴えるほどに、いかにもハリウッド的な予定調和の臭いがぷんぷんする。
それでも、この作品には幾つもの教訓が込められている。
映画の舞台は、五輪に沸く1996年の米アトランタ。
オリンピック公園で催された野外コンサートで警備員を務めていたリチャード・ジュエル(タイトルロールはポール・ウォルター・ハウザー)は、たまたまパイプ爆弾の第一発見者になり、生真面目に職務をこなすことで被害を最小限に食い止める。
一夜にして国民の英雄となった彼だが、地元紙がリーク情報から「FBIが疑惑の目を向けている」と実名報道したことを境に、暴走するメディアによって「国民の敵」に仕立て上げられていく……。
事実もこの通りの経緯をたどっている。
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