野球人、アフリカをゆく(21)難民生活で孫に教えた生きるための「規律」の大切さ
2020年01月25日
<これまでのあらすじ>
かつてガーナ、タンザニアで野球の普及活動を経験した筆者が、危険地南スーダンに赴任した。首都ジュバ市内に、安全な場所を確保して、仕事の傍ら野球教室を始める。アメリカで高校野球の経験がある南スーダン人コーチ、ピーターが加わり、徐々にレベルも上がってきた。さらに元難民でウガンダの教育を受けた野球経験者ウィリアムも加わった。難民キャンプを出てウガンダの学校の野球部キャプテンを任され、名門ジュバ大学を出るまでに育ったウィリアムの育てた祖母に会いに行くことになったが……。
たくさんの捨てられたペットボトルや空き缶。いやでも目に付く廃棄されたプラスチック製品。その合間に散逸するビニール袋。
アフリカの他の国々のいくつもの都市を見てきた私にとっては、衝撃だった。一般的にアフリカではどこの国でもきれい好きな人が多く、ここまでゴミがあふれている町は見たことがなかった。
ジュバは都市としてはとても未熟だ。それには特殊な背景がある。
独立前のスーダン時代、独立運動の中心地のひとつであった南部スーダンのジュバは、スーダン政府によって都市開発が意図的に遅れさせられ、交通インフラ、電気、下水道、ごみ処理施設などの整備はほとんど施されなかった。
そもそもごみを拾っても、集めて処理する場所も治安が悪く、収集するシステムが満足に稼働していなければ、ごみは溜まる一方だ。都市衛生の観点でも喫緊の課題だ。ちなみに、JICAは廃棄物処理に関する人材育成やシステムづくり、ごみ収集車の供与などのプロジェクトを準備中である他、ごみ拾いキャンペーンなどをジュバ市と一緒になって行うなどの協力をしている。
そんなジュバ市内の中心地近くに、ピーター、ウィリアム、私を乗せた防弾車が着いた。大通りから数十メートル入った未舗装の路地に、トタン板づくりの高い塀に囲まれたコンパウンドがあった。ジュバ市内ではこのコンパウンド方式の住宅が多い。一定の敷地を壁で囲み、その中にいくつかの住居があり、共同生活をしている形式だ。
「ここに僕のおばあさんが住んでいます」と言いながら、ウィリアムが目立たない小さなドアを押し開いて入ってゆく。私とピーターが続いて中に入った瞬間、目を疑った。
「ウィリアム、綺麗な敷地だね」。感心して思わず漏らす私に、「おばあさんはきれい好きなんです」と返すウィリアム。「奥のキッチンにおばあさんがいます」といいながらウィリアムが向かう先に、スカーフを頭に巻いた年配の女性が、小屋の中で、座って火を使いながら調理をしている後ろ姿が見えた。
「おばあさん、〇*%$#▽」と、ジュバアラビックで背中越しになにやら話しかけるウィリアム。「お客さん連れてきたよ。日本人の野球の監督なんだ」と言っている。たぶん。
すると、振り向いたおばあさんはやおら立ち上がった。その表情は柔和でにこやかながら、背筋がピンとして芯があるように見え、凛(りん)とした雰囲気。どことなく、佐賀県に住んでいた私の父方の祖母に雰囲気が似ていたように感じた。
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