「出来っこない」に挑むのが権力者。長期政権の最後に安倍首相が思うのは……
2020年01月31日
憲法改正は「必ずや私の手で成し遂げていきたい」と明言するのは、今日の安倍晋三首相だが、2005年に似た状況下で似たことを言った人がいた。
小泉純一郎首相である。
「これだけは、自分で手がけなければ」と彼が言ったこと。それは、郵政民営化だった。そして、あのとき政権・与党も含めて、永田町の通説は「出来っこない」というものだった。
確かに、当時、自民党の反対派を数えてゆけば、郵政民営化法案の成立は、数字の上では無理だった(実際、参議院では自民党議員の造反で、否決されることになる)。
国民の関心も低かった。小泉首相が前年(2004年)の内閣改造にあたり、「郵政民営化実現内閣」だと豪語した際、朝日新聞の世論調査で浮かんだ政権が優先して取り組むべき課題のトップは年金・福祉(52%)であり、郵政民営化はわずかに2%しかなかった(ちなみに憲法改正は5%だった)。
小泉首相はしきりに衆院解散を匂わせ、揺さぶりをかけるが、通説は揺るがない。永田町の大勢は、
党内の反対派を法案賛成や棄権に回らせるための脅しに過ぎない、
そもそも自民党の内紛なのに、野党を相手する衆院選で決着させようとしても、世論がついてくるはずがない、
「変人首相」のこと、否決されたら解散を言い出すかもしれないが、それよりも法案の成立の方が大事に決まっている、
といった見立てに終始した。
だが、首相の「底意」はやがて明らかになる。実のところ、自民党を一気に小泉改革一色に染めあげるため、反対派を根絶する「解散」をはなからしたかっただけだったのだ。
2005年8月、法案が参議院で否決されるや、首相は間髪を入れず衆議院を解散した。首相側が仕掛けた「コイズミ対抵抗勢力」の対決構図の演出に世論は沸騰し、選挙区に「刺客」を送られた反対派議員は次々と落選。解散直後は有利と言われた野党民主党も、明確な対案が出せずに惨敗した。
それこそ、通説に拠って首相の底意を見誤った高いツケを払わされたのだ。この衆院選後に官房長官に就く安倍晋三氏も総務相だった麻生太郎副総理・財務相も、それを間近で目撃していたはずである。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください