野球人、アフリカをゆく(22)日曜日の練習の成果を試そう。初の対外試合決行へ
2020年02月08日
<これまでのあらすじ>
かつてガーナ、タンザニアで野球の普及活動を経験した筆者が、危険地南スーダンに赴任した。首都ジュバ市内に、安全な場所を確保して、仕事の傍ら野球教室を始める。アメリカで高校野球を経験した南スーダン人ピーターがコーチとして加わり、徐々にレベルも向上。元難民でウガンダの教育を受けた野球経験者ウィリアムが加わり、チームの厚みもました。いよいよ次にチャレンジするのは……
2019年夏。南スーダンに着任してから10か月が経とうとしていた。その間、週末になれば野球を指導するためにグラウンドへ通った。
移動は防弾車。日中市内の歩行は禁止。夜19時以降の外出禁止。指定の宿舎に住み、各部屋には防弾チョッキとヘルメットが配備されて、関係者は全員携帯電話の他に無線機を持つというジュバ生活。
そんなところで野球をやるって、いったいどんな神経してんだよ、と感じられる向きも多いと思う。あるいは、のんびり野球をやってる南スーダンって、すっかり平和になったのね、と思われる方も多いだろう。
いったい、南スーダンは危険地なのか、平和なのか。
答えはズバリ、今は平和だ! と、言いたいところだが、そこには注釈がつく。「束の間のはずだった平和な状態が、ずるずる安定的に続いている」という状態なのだ。
こんな説明ではさっぱりわからないだろうから、解説しよう。
南スーダンの政情については、第8話で触れた通り、2018年10月31日に平和式典が開催され、政治闘争を繰り広げてきた現職のキール大統領と、前副大統領のマチャール氏が2年ぶりに首都ジュバで面会した。この時点では、半年後の2019年5月12日までに、大統領率いる政府側と元副大統領のマチャール率いる反政府軍が、合同で「暫定政権」を樹立。それから3年後に選挙を実施し、正当な政権を作る、という和平合意が確認された。
ちなみに、南スーダンでは、2011年の独立後、2013年、2016年と二度にわたって大規模衝突があり、両勢力の間で和平合意が締結されては反故(ほご)にされる、ということが繰り返された。だから、今回の和平合意は、正確には「再活性化された和平合意」という。
暫定政権が樹立されるはずの2019年の5月12日が近づくにつれ、ジュバでは緊張感が高まってきた。暫定政権は、政府側と反政府側の連立政権となるため、両者がジュバに集結するのだが、反政府軍は自らの安全確保のために何千人もの軍隊を引き連れてやってくる。過去に二度、衝突が起きた時とまさに同じ状態になるのだ。
二度あることは三度ある。そもそも、両軍とも、もとはと言えば、北のスーダンから独立を勝ち取るために戦ったゲリラ同士。軍隊といっても、日本の自衛隊のように規律やモラル、訓練がしっかりなされているわけではない。過去2回の大規模衝突は、いずれも下級兵士同士の衝突が引き金になっている。
ところが、この5月12日の直前に、暫定政権樹立が半年延期なったと発表された。和平合意事項の中の安全確保などの要件が満たされていないとして、反政府軍が暫定政権樹立を拒否したのだ。
ややこしいのは、普通は「暫定政権が樹立すれば平和が訪れる」、「暫定政権の樹立が延期になれば、平和が遠のく」と考えられがちだが、皮肉なことに南スーダンの現実は逆ということだ。
緊張感が高まっていたジュバ市内は、一気に緩んだ。暫定政権が樹立しなければ、反政府軍の軍隊が来ないので、衝突が起きないからだ。ジュバ市内は政府軍が完全にコントロールしているため、暫定政権樹立が延期された11月までの半年間、平穏が続くことが見込まれる。
そのおかげで南スーダン野球団の練習も毎日曜日に順調に続き、チームは少しずつ成長した。2018年9月、3人のキャッチボールから始まった南スーダン野球団だが、2019年5月を迎える頃には、常時20人は集まるようになり、おおざっぱに打って守っていたレベルから少しずつプラスアルファを教えられるようになった。
例えば、試合前に守るチームを集めて円陣を組む。
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