「服従」をテコに地上に踏みとどまろうとする生き方
2020年02月14日
すでにこのサイトにおいて、プーチン大統領が提案した憲法改正および2024年以降のプーチン体制について、「「プーチン3.0」を展望する」で論じた。だが、それだけでは、ロシアで起きていることは理解できないのではないか。そこで、もう少し本質的な議論を改めて展開したい。
日本人には日本人の文化があり、ロシア人にはロシア人の文化の滓(おり)のようなものがあるに違いない。私淑する師、井筒俊彦は『ロシア的人間』のなかで、つぎのように記している。
「過去数世紀にあたって、西ヨーロッパの知性的な文化人にとっては、原初的自然からの遊離は何ら自己喪失を意味しなかった。逆にそれは人間の自己確立を意味した。本源的に非合理的な自然の混沌(カオス)を一歩ずつ征服して次第に明るい光と理性の秩序(コスモス)に転じて行くこと、そこにこそ人間の本分が在るのではないか。ロシア人はそれとは違う。彼にとっては原初的自然性からの離脱は自己喪失を意味し、人間失格を意味する。ロシア人はロシアの自然、ロシアの黒土と血のつながりがある。それがなければ、もうロシア人でも何でもないのだ。西欧的文化に対するロシア人の根強い反逆はそこから来る。文化の必要をひと一倍敏感に感じ、文化を切望しながら、しかも同時にそれを憎悪しそれに反逆せずにはいられない、この態度はロシア独特のものである。こういう国では西欧的な文化やヒューマニズムは人々に幸福をもたらすことはできない。」
このロシア人独特の感性は、涙も凍るようなシベリアの極寒に、荒れすさぶ吹雪のただなかでも我を忘れて踊り、歌うロシア人特有の生の歓喜によってもたらされるのであり、それは「悪霊に憑かれた人の猛烈な忘我陶酔を憶わせる」と井筒はいう。
ゆえに、ロシア人のこの歓喜は明るいものではなく、異様に暗い。「ロシア的人間の歓喜は大自然の生の歓喜であり、その怒りは大自然そのものの怒り、その憂鬱は大自然そのものの憂鬱なのである」ということになる。
こうしたロシア人は「服従」(隷従)によって「救済」されるという「ケノーシス」という観念に深く影響されている。
正教(Orthodoxy)では、父なる神と子なるキリストと聖霊が神をなす。神と人間を
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