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バランサーの役割を演じた「半身」の英国

 そういう欧州に対し、英国は歴史的に「半身」であり続けた。大陸との間に常に距離を保ち、決して「どっぷりつかる」ことがなかった。近代のパワーポリティックスの時代、英国は常にバランサーの役割を演じた。バランサーとは、欧州大陸の一方の国が強くなり過ぎた時、もう一方の弱い方に味方しバランスを取る役割のことだ。1871年以前、強国はフランスだった。同年以降、ドイツがフランスに代わる。英国はドイツの比重を薄めるべくバランサーの役に努めたが、結果は二度の大戦だった。いずれにせよ英国は、大陸の勢力関係に応じ自らのポジションを決めてきたが、そのためには大陸との間に距離があることが必要だった。

 1951年、欧州石炭鉄鋼共同体が発足し統合が開始されてからも、しばらくの間、英国はこれに加わろうとしなかった。しばらくして加盟の意思を固めたが、今度はドゴールが拒絶した。最終的に加盟が認められたのは1973年、既に20年以上が経過していた。加盟後も、英国はEC/EUの中で特別待遇を求め続けた。ユーロにもシェンゲンにも加わらなかった。他方で、英国は、米国との間に「特別な関係」を維持した。つまり、英国は「ドーバー海峡」と「大西洋」の両睨みだった。大西洋の先にはコモンウエルズも控えている。EUは英国にとり「全て」ではなかった。そういう英国はEUにとり、常に「異なったもの」だった。

 EU離脱は、この「異なったもの」の英国が、行きつくところまで行った結果起きた。国内に、常にEUから離れようとする力学が働き、最後はそれが残留の力を上回った。

 無論、離脱をこれだけで説明することはできない。むしろ、国民の間に蔓延する「不満」が、離脱決定に至る大きな要因となったことは周知の事実だ。その不満とは、国内に広がる所得格差に対するもので、国内にはロンドン中心のエリート層のみがいい目を見、地方の貧困層がなおざりにされているとの怨嗟が蔓延する。加えて権力が中央に集中し、地方が形骸化されていることに対する不満も後を絶たない。特に、1999年、スコットランドやウェールズが一定の自治を認められたのに対し、イングランドは常に中央政府の意のままに据え置かれたとの反発が燻る。2016年の国民投票はこういう不満のはけ口になった。

 そういう背景があったことは事実だが、「半身」の英国がいつだって「半分離脱」だったことが離脱の重要な側面であることに変わりはない。

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筆者

花田吉隆

花田吉隆(はなだ・よしたか) 元防衛大学校教授

在東ティモール特命全権大使、防衛大学校教授等を経て、早稲田大学非常勤講師。著書に「東ティモールの成功と国造りの課題」等。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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