「公私の別」と言った時の「公」とは何だろうか。ドイツの哲学者ハンナ・アーレントはかつて「公」の考え方について、わかりやすく「テーブル」の比喩を例示した。
2人がテーブルを挟んで向き合い会話を交わす。3、4人がテーブルを囲んでカードゲームに興じる。あるいは大勢の人がテーブルに着いて、ある議題に関して論じ合う。人々の間にあって人々が分かち合い、人々の拠って立つポジションを平等に保証するもの、それが「テーブル」であり、公の場所なのだ、と。
この「テーブル」が一人の者に占拠され、その者のわがままな考え、意思だけが通り、その者により近く、阿諛追従を専らとする人間だけが「テーブル」に着くポジションを恣意的に与えられるとすれば、そこに「公の場」は存在するだろうか。
アーレントに聞くまでもなく、そこには「公の場」は存在せず、その者の「公私混同」があるだけだ。
「権力が長く続くと腐敗するということがあるけれども、安倍さんの場合は長いだけじゃない。彼の体質といったものが、こういう私物化、腐敗を生んでいると思います。(略)権力をまったく私物化している、おもちゃのようにしているから、もうどうしようもない政権です。いまだかつて日本の憲政史上こんな政権はなかったんじゃないですか」
日本の保守政治の中枢から野党に転じ、二度の政権交代を成し遂げた小沢一郎は、現首相、安倍晋三の政治のあり方について、こう断言した。
森友学園、加計学園の問題から堂々たる公文書改竄、「桜を見る会」における大量の公職選挙法違反疑惑、さらには、違法の疑いが極めて強い東京高検検事長の定年延長問題に見られるような官僚組織に対する一連の露骨な人事介入。「いまだかつて日本の憲政史上こんな政権はなかった」という小沢の口吻はそのまま、良識のある国民の等しく考えるところだろう。
政治が成り立つ基盤は「公の場」である。平等に分かち合う「テーブル」が間になければ議論が成り立たない。安倍首相は、一方でその「テーブル」を破壊しつつ、他方で、議会政治を守ろうとする野党の議論を批判し、「建設的な政策の議論を」と問題をすり替えようとする。
この「小沢一郎戦記」では前回『小沢一郎「安倍首相の権力私物化に協力した官僚がみんな出世する」』で、日本の議会制民主政治に危機をもたらしつつある安倍首相の「公私混同政治」について小沢から数々の指摘を得た。
今回はそれを踏まえた上で、現代日本が直面する最も大きい問題について、安倍政権がどのような姿勢で取り組んでいるか、その評価を質してみた。
最も大きい問題というのは、言うまでもなく、国内問題では、原子力・エネルギー政策、対外問題では対米政策である。

東京電力の福島第一原発。汚染水への対応に追われ、廃炉への道も険しいままだ=2016年3月12日
日本はいまだにひたすら原発。何もかも利権
――安倍政権が国内政策にどう取り組んでいるか、小沢さんの評価をおうかがいします。
現代日本が直面している最大の内政問題は言うまでもなく原子力・エネルギー政策です。世界は福島第一原発の事故を契機に、風力発電を中心に再生エネルギー・ビジネスに大きく動いています。
しかし、当の日本では安倍政権がまったく動いていません。原子力にしがみついて、原子力から離脱する姿勢がまったく見られない。これも驚くべきことではないでしょうか。
小沢 これは、構造的に言うと、政官財学という4者の利権なんです。これはものすごく強固なもので、安倍さんや自民党の大部分はこれに乗っかっています。そして、これはなかなか崩せないんです。
世界の大勢は原子力から脱出することに目覚めています。そして、何とか新しいエネルギーを求めて頑張っているのに、日本はいまだにひたすら原発ですから。これは、何もかも利権なんです。
――やっぱり、原子力から離脱するには相当大きい政治力を必要とするのではないでしょうか。
小沢 この利権の構造を壊さないといけないですからね。
――福井県敦賀市の高速増殖炉もんじゅは廃炉が決定しましたが、青森県・六カ所村の再処理工場はいまだ続けていますね。この核燃料サイクル計画は日本の原子力の骨格だと思いますが、ここを変えないと日本の原子力からの離脱はできないと思います。
小沢 六カ所村の再処理工場は全然うまくいっていないそうですね。
――まったくうまくいっていないです。それで、その再処理工場を中核とする核燃料サイクル事業をやめない限り日本の原子力はなくならないですよね。
小沢 それはそうです。
――原発の使用済み核燃料は今、電力会社が資産として持っています。しかし、実のところは資産の態をなしていないし、超危険な存在であるだけなんですね。