プロローグ リンドバーグの影
2020年03月08日
首都ワシントンのスミソニアン国立航空宇宙博物館は、大勢の観光客でにぎわう観光名所の一つだ。セキュリティーを通って館内に入ると、高天井につり下げられた銀色に光る機体の飛行機が目に飛び込んでくる。
「スピリット・オブ・セントルイス号」
1927年5月、冒険飛行士チャールズ・リンドバーグによってニューヨーク-パリ間を33時間30分で飛んだ飛行機だ。
世界初の単独大西洋無着陸横断という快挙であり、館内の説明文には「リンドバーグ・ブーム」が起き、民間航空産業を大いに振興したと記されている。
リンドバーグは米国の航空機史上、世界初の有人動力飛行に成功したライト兄弟と並ぶ英雄だ。
ただ、その栄光の人生には暗い影もつきまとう。
1936年、リンドバーグはベルリンの米国大使館員から、ナチス・ドイツの航空戦力の情報収集の協力を依頼される。ドイツは前年にベルサイユ条約を破棄する再軍備宣言を行い、空軍創設を正式に表明していた。
リンドバーグは空軍総司令官のゲーリングに特別の許可をもらい、ドイツ空軍部隊や工場、軍事基地などを視察。その結果、「(ドイツは)欧州のどの国よりも速い戦闘機を生産できる。米国よりも速い戦闘機を生産できる可能性もある」と結論づける(Charles Lindbergh House and Museum. “America First and WWII.”)
欧州では第一世界大戦の戦勝国英仏両国と、領土拡大への野心を隠さないヒトラー率いるドイツとの間で軍事的な緊張が高まり、欧州大戦が再び始まる兆しが日増しに強まっていた。リンドバーグはその後もたびたびドイツ国内の飛行機工場を訪れ、最新鋭の爆撃機など視察。ナチス側には米国社会に影響力のあるリンドバーグを通じてドイツの航空戦力を積極的に公開することで米側の参戦を思いとどまらせる意図があったとみられる。
リンドバーグは1938年、ゲーリング元帥から航空機の発展に寄与したとしてナチス・ドイツの最高勲章の一つである鷲十字章を直接授与された。
リンドバーグは欧州大戦が再び起きれば、自身が直接目にした圧倒的に優れた航空戦力をもつドイツが戦争に勝つと固く信じていた。1939年に米国に帰国すると、米国が欧州での戦争に介入しないように訴え、孤立主義者としての主張を強めていく。そして、米国内で同じように非介入主義を訴えていた「アメリカ・ファースト委員会」に加わった。
アメリカ・ファースト委員会は1940年、イエール大の学生を中心に結成され、政財界の指導者らもメンバーになるなど、80万人超の会員を抱える保守系の政治団体だった。
民主党のルーズベルト政権は戦争介入を狙っていると批判し、米国の参戦を期待する英国への軍事援助に反対。国民的英雄であるリンドバーグは加入後すぐに同委員会の代弁者となり、全米各地を遊説して回ることになる。
当時の米国は第一次世界大戦の後遺症を引きずって厭戦気分が強く、世論調査は戦争反対が80%を超え、同委員会の訴える非介入主義は世論の動向に沿ったものといえた。ただし、自国の利益を最優先に訴えるその主張は、時に排外主義と結びつく。アメリカ・ファースト委員会に不気味な影を落としたのが、同委員会の抱える反ユダヤ主義的な価値観だった。
リンドバーグは1941年9月、遊説先のアイオワ州デモインで「だれが戦争の扇動者か?」と題した講演を行い、ルーズベルト政権、英国に加え、「ユダヤ人という人種」が米国の参戦を望んでいる、と訴えた。
ナチス・ドイツから厳しい迫害を受けるユダヤ人の「人種」に言及したデモイン演説は米国内で大きな非難を呼び、リンドバーグは「反ユダヤ主義者」「親ナチ主義者」と非難されることになる。
リンドバーグはもともと反ユダヤ主義の人種差別的な思考を持っていた。第二次世界大戦開戦直前の日記を読むと、次のような記述がたびたびあらわれる。
ユダヤ人にドイツから出て行って欲しくないと考えるドイツ人は一人もいなかった。彼らによれば、ユダヤ人は前大戦後の内部崩壊や革命に大きな責任があったというのである。戦後のインフレ時代に、ユダヤ人はベルリンなど大都市にある財産の大部分を掌中に収め――一番よい邸宅に住み、最高の自動車に乗り、最も美しいドイツ娘をわがものにしたといわれる 。(リンドバーグ,チャールズ・A(新庄哲夫訳)(2016)『リンドバーグ第二次世界大戦日記 上』角川ソフィア文庫,124)
リンドバーグはナチス幹部らと交流を深めた結果、反ユダヤ主義的な考え方に染まった可能性が高い。ナチス・ドイツによる600万人のユダヤ人の大量殺戮が明るみになった今、リンドバーグにとって消えることのない汚点である。
リンドバーグのデモイン演説から3カ月後の1941年12月7日、日本軍が真珠湾を攻撃し、米国は第二次世界大戦に参戦を決定。その3日後、アメリカ・ファースト委員会は解散した。
それから75年余り経った2017年1月20日。
小雨模様の天候のもと、首都ワシントンのキャピトル・ヒルにたつ連邦議会議事堂前の広場は、新しい指導者の就任式を一目見ようと、大勢の観衆が詰めかけた。目立つのは「MAKE AMERICA GREAT AGAIN(アメリカを再び偉大に)」と書かれた赤い帽子をかぶった人々だ。
正午ごろ、真っ赤なネクタイを締めた大柄の男がマイクの前に立つと、観衆からどっと歓声がわきおこった。
第45代米国大統領、ドナルド・J・トランプ。
トランプ氏が就任演説で力を込めて描き出したのが、米国は犯罪やギャング、麻薬問題で荒廃のさなかにあるというディストピアだ。そのありようを「米国における『殺戮』(carnage)」と表現した。そして米国をこれほどまでに荒廃させた最大の元凶が、勤勉な米国人の富を簒奪してきた諸外国だとして敵意をあらわにした。
「何十年もの間、我々は米国の産業を犠牲にして外国の産業を豊かにしてきた。自国の軍隊の悲しむべき疲弊を許しておきながら、他国の軍を援助してきた。我々自身の国境を守ることを拒否しながら、他国の国境を防衛してきた。そして、米国のインフラが荒廃し、劣化する一方で、何兆ドルも海外につぎ込んできた。我々の国の富、強さ、自信が地平線のかなに消えていったさなかに、我々は他国を裕福にしてきたのだ」(The White House. “The Inaugural Address.” 20 January 2017.)
トランプは右手の人さし指を立てる独特のしぐさをしながら「しかし、これはもはや過去の出来事だ」と語り、こう強調した。
「この日からアメリカ・ファーストだけになる。アメリカ・ファーストだ」
米国の利益だけを最優先に考える――。
トランプ氏の訴えの根底にあるのが、米国は他国からだまし取られてきた、という不満だ。自身が米国民の利益に反すると判断すれば、歴代政権のもとで継続してきた政策であっても、外国との約束や国際的な合意は反故にしても良いと一貫して考えている。
トランプ氏は就任式から3日後、オバマ前政権が日本を含む12カ国で批准を目指した環太平洋経済連携協定(TPP)から離脱するための大統領に署名。その後も地球温暖化対策の国際ルール「パリ協定」、国連教育科学文化機関(ユネスコ)、イラン核合意、ロシアと結んでいた中距離核戦力(INF)全廃条約など国際的な約束や機関からの離脱・破棄を次々に決めた。
トランプ氏が最初に「アメリカ・ファースト」という言葉を使ったのは、2016年3月の米紙ニューヨーク・タイムズとのインタビューとみられる。トランプ氏は「(私は)孤立主義者ではないが、アメリカ・ファースト主義者だ」と強調し、「私はこの表現が好きだ」と語った。
トランプ氏は米国の同盟国が米軍の海外駐留経費負担を支払わなければ米国との同盟関係を再考すると述べ、「我々はこれ以上、だまし取られない」と強調した (Sanger, David E. and Haberman, Maggie. “In Donald Trump’s Worldview, America Comes First, and Everybody Else Pays.” The New York Times 26 March 2016.)。
トランプ氏はこれ以前に「アメリカ・ファースト」という言葉は使っていなかったが、ニューヨークの不動産王として知られていた1980年代から、日本など裕福な他国が「米国を利用し続けてきた」と主張している(Ben-Meir, Ilan. “That Time Trump Spent Nearly $100,000 On An Ad Criticizing U.S. Foreign Policy In 1987.” BuzzFeed News 10 July 2015.)。
「アメリカ・ファースト」という言葉は最近では、2000年大統領選に第三党・改革党から出馬した保守派重鎮、パット・ブキャナン氏が選挙スローガンとして使っていた。トランプ氏は当時、ブキャナン氏と同じ改革党からの出馬を一時模索しており、ブキャナン氏の言動に注意を払っていた可能性がある。
ブキャナン氏はリンドバーグ氏らの率いたアメリカ・ファースト委員会を「英国とドイツによる狂った第二次世界大戦に米国が巻き込まれることを望まなかった、名誉ある米国人の愛国者グループ 」(NPR transcript. “Pat Buchanan On 'America First' Under Trump.” 22 January 2017.)だと主張していた。大統領選ではアメリカ・ファースト委員会の名称をもとに「アメリカ・ファースト!」と語尾に「!」をつけた選挙スローガンを用い、米国による他国への軍事介入に反対するとともに、米国が世界貿易機関(WTO)や北米自由貿易協定(NAFTA)から離脱するべきだと訴えた。
ブキャナン氏はニクソン大統領の大統領特別補佐官を務め、レーガン大統領のもとで米ホワイトハウス広報部長を務め、大統領選に過去三回挑戦した経歴をもつ。
2000年大統領選で改革党から出馬する以前には、1992年大統領選で再選を目指すジョージ・H・W・ブッシュ大統領と共和党候補者指名を争い、1996年大統領選ではボブ・ドール上院議員と共和党候補者指名を争った。
共和党政権ではレーガン政権以来、他国への軍事介入に肯定的でグローバリズムを推し進める新保守主義(ネオコン)が台頭してきたが、ブキャナン氏はネオコンとは正反対に、米国の伝統的な孤立主義や反自由貿易を掲げる伝統的保守主義(ペイリオコン)の代表格だった。1992年の共和党全国大会ではリベラル派の価値観と戦う「文化戦争(カルチャー・ウォー)」を唱え、今も米国社会で続く大きな論争を引き起こした人物でもある。
ホワイトハウスから車で約20分の距離にあるバージニア州マクリーン。首都ワシントンのベッドタウンであるこの街の郊外の森の中の小道をしばらく走らせた先に、ブキャナン氏の自宅である瀟洒な住宅があった。
ブキャナン氏は2000年大統領選後に政界を引退したが、81歳の今も著述業やコラムニストとして活躍している。室内にはニクソン大統領やレーガン大統領のもとで働いていた当時の写真が飾られ、「これは1972年のニクソン訪中に随行した時の写真だよ」などと懐かしそうに説明してくれた。
ブキャナン氏が「アメリカ・ファースト」という言葉を使い始めたのは、冷戦終結がきっかけだったという。
「私はレーガン大統領のそばで冷戦が終わりゆくのを見た。冷戦終結後、東欧などに展開していたソ連軍がロシアに戻ったとき、我々米国も故郷に戻るべきだと考えた。我々は自国の利益を第一に考え始めるべきだと思ったのだ」(パット・ブキャナン氏へのインタビュー取材。2020年2月5日)
ブキャナン氏は保守系外交専門誌「ナショナル・インタレスト」(1990年春号)に論文を書き、「アメリカ・ファースト」というタイトルをつけた(Buchanan, Patrick J. “America First –and Second, and Third.” The National Interest Spring 1990: 77-82.)。
ブキャナン氏はレーガン政権時代、自由貿易論者であり、「自由貿易こそ米国にとって最良の政策だ」と信じていたという。しかし、1992年大統領選の共和党候補者指名争いで全国各地を回ったとき、あらゆる生活必需品や日本車などが手に入る代わりに、米国は自国の工場や雇用、経済的な活力を失いつつあることに気づいたという。
「私はそのとき自由貿易論者であることをやめ、19世紀型の経済ナショナリストになることを決意したのだ」
ブキャナン氏によると、アメリカ・ファーストの考えとは、まず国境を防衛することにあるという。1992年共和党選挙公約にはブキャナン氏の主張で「国境を防衛するため必要な構造物」を建設するという一文が挿入され(Republican Party Platform of 1992. “The Vision Shared: The Republican Platform, Uniting Our Family, Our Country, Our World.” 17 August 1992.) 、「ブキャナン・フェンス」と呼ばれた。
また、アメリカ・ファーストは自由貿易を放棄し、経済ナショナリズムの考えをとるという。諸外国との同盟関係を解消し、海外駐留米軍を米国に帰還させ、米国の建設に第一に取り組み始めることも重要な考えだと強調した。ブキャナン氏は「(反共主義者の)ジーン・カークパトリックが主張したように『普通の時間は普通の国に』という考え方だ」と説明する。
ブキャナン氏は1991年の湾岸戦争、9.11(米同時多発テロ)後のイラク戦争にも反対した。
「私は今世紀の米国による最大の失敗は、2003年のイラク侵攻とその占領だと思っている。アフガニスタンを西洋型民主主義の国につくりかえようとしたが、多くの血が流れ、巨額の経済的コストもかかった。さらに我々はシリアやイエメンの内戦にも巻き込まれてしまった」
ブキャナン氏は、米国はもともと非介入主義の考え方が主流だった、と語る。
「初代大統領ワシントンら建国の父たちは『外国の戦争に参戦するべきではないし、巻き込まれてはいけない』と主張した。米国は経済ナショナリズムの考えをもち、国際社会の中でも一人で立つ能力があった。我々の大きな大陸は二つの大洋によって守られ、我々は他国の戦争と距離を取ってきたのだ」
ブキャナン氏は、第二次世界大戦への参戦に反対したリンドバーグを「偉大な米国の英雄で、カリスマがあった」と語る。
「リンドバーグは自分の叔父ら親族が第一次世界大戦で戦ったことを覚えていた。米国人にとって第一次世界大戦は『巻き込まれた』戦争であり、『我々の戦争ではない』と感じていた。しかし、第一次世界大戦に参戦した結果、11万人を超える米軍兵士が死亡した。約20年後に再び同じことが起きようとしていたのだ。リンドバーグらアメリカ・ファースト委員会の人々は『参戦するべきではない。ドイツと英仏両国を和解させよう』と主張したのだ」
非介入主義を主張するブキャナン氏は、リンドバーグ氏らアメリカ・ファースト委員会の伝統的な孤立主義の考え方を継承している存在と言える。
リンドバーグ氏が「反ユダヤ主義者」「親ナチ主義者」と批判される点については「全く不公平だ」と反論する。
「確かにあの発言は論争を引き起こし、アメリカ・ファースト委員会に大きなダメージを与えた。しかし、私の考えでは、リンドバーグが参戦反対を主張していたから、彼は悪魔化されたのだ。米国のユダヤ人社会は今日であれば、米国はもっと早く参戦するべきだったと言うだろう」
ワシントン政界では、ブキャナン氏は2016年大統領選期間中、トランプ氏の政策アドバイザー的な役割を果たした、という見方が根強い。
「私は彼とは電話で何度も話した。彼は私が出演しているテレビを見て『あなたの言っていることが私は好きだ。感謝している』と言っていた。彼との会話は楽しいものだった」
ただ、ブキャナン氏は「私が彼のアドバイザーだったという見方は間違いだ」と述べ、「彼は自分自身で経済ナショナリズムの考えを身につけ、外国との貿易によって我々の工場や産業は略奪されていると考えるようになったのだ」と強調する。
とはいえ、トランプ氏とブキャン氏のアメリカ・ファーストの内容は酷似しており、ブキャナン氏自身「彼の考え方は私と似ている」と認める。
「彼なのか、それとも彼のアドバイザーなのか、だれが私の影響を受けたのかはわからない」。ブキャナン氏はそう語った。
もともと米国が他国から搾取されているとして不満を募らせていたトランプ氏。直接間接的にブキャナン氏らペイリオコンの影響を受けて徐々に自身の外交政策をめぐる考え方を固めていき、最終的に「アメリカ・ファースト」という言葉を自分の政治信条をあらわすスローガンとして選んだ可能性は高い。
ブキャナン氏らペイリオコンの主張は、「反自由貿易」「反グローバリズム」「反移民」「孤立主義」などに集約される(中岡望(2004)『アメリカ保守革命』中公新書、129)。
トランプ氏とペイリオコンの主張には次のような共通点を見いだすことができる。
一つ目は、トランプ氏が伝統的な孤立主義の傾向を持ち、米国の同盟国や友好国を米国の軍事力を使って防衛することに極めて消極的であるという点だ。
トランプ氏はなぜ米国が数十万人の米軍兵士を海外に駐留させ、裕福な同盟国を防衛しなければいけないのか、と強い疑問をもつ。このため、同盟国が米軍の駐留を望むのであれば、それに見合った相応の対価を支払うか、支払わないのであれば米軍の撤退・縮小は当然だと考える。同時に、9.11以来、中東地域で泥沼化した戦争を早期に終結し、中東地域からの米軍撤退を唱えている。
二つ目は、反グローバリズムの性質をもつ点だ。
トランプ氏は国際協調に背を向け、米国が第二次世界大戦後に築いた国際秩序を守ることに関心をもっていない。また、環太平洋経済連携協定(TPP)離脱のように自由貿易に後ろ向きで、外国製品に関税をかけることによって自国産業を守るという保護貿易主義の傾向をもつ。中国との通商協議では自国に有利な取引(ディール)を引き出すため大規模な関税戦争を仕掛け、両者の報復合戦は世界経済に深刻な影響を与えている。
三つ目は、第二次世界大戦後、米外交で主流だった国際主義の考え方とは異なり、民主主義や自由、人権の尊重といった米国のリベラル的価値観を世界に広めることに無関心であるという点も挙げられる。
逆にトランプ氏は専制的政治指導者に対して親近感をもち、ロシアのプーチン大統領や中国の習近平国家主席には最大級の敬意を払って直接的な批判をしない。北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長に対しては「恋に落ちた」とまで公言し、親密な信頼関係をアピールしている。
四つ目は、メキシコとの国境における壁建設など国境防衛に強い意思を示し、不法移民を厳しく取り締まる姿勢を示している点だ。
トランプ氏は不法移民が米国民の身体に直接危害を加えることを強く警戒している。一方、その警戒心がトランプ氏の攻撃的な排外主義的言動に結びついている。メキシコからの移民を「レイプ魔」と呼び、自身に批判的な民主党の非白人系の女性議員を「もといた国に帰ったらどうか」と批判する。トランプ氏には反ユダヤ主義的言動は見られないが、米国を白人社会とみなしているかのような人種差別的な発言は多い。
一方、トランプ氏の唱えるアメリカ・ファーストには、従来のペイリオコンの主張に収まりきらない部分もある。例えば、米国市民に危害が及ぼされれば、米国単独であっても軍事力の行使をためらわないという点だ。
イラン問題では、歴代大統領が見送ってきたイランの国民的英雄であるイスラム革命防衛隊のソレイマニ司令官の暗殺を命令し、米イランの本格的な軍事衝突の引き金を引いた。米軍再建を唱えて軍事費の拡大にも力を入れ、トランプ氏には軍事力を信奉する傾向がある。
ただし、イランの司令官暗殺後に中東地域に3500人の米軍部隊を増派したように、自らの単独行動主義によって持論であるはずの米軍撤退が実現できないという矛盾も生み出している。
トランプ氏の掲げるアメリカ・ファーストの外交とは何か。今年11月の米大統領選で問われるアメリカ・ファーストの実態について、シリーズを通じて迫りたい。
次回から第1部「権力の掌握―ヘドロをかき出せ」を始めます。トランプ氏がアメリカ・ファーストの外交政策を遂行するため、政権内で自身の権力基盤を固めていく過程を検証します。3月11日公開予定です。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください