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トランプ「アメリカ・ファースト」の起源

プロローグ リンドバーグの影

園田耕司 朝日新聞ワシントン特派員

「米国は利用され続けてきた」

 それから75年余り経った2017年1月20日。

 小雨模様の天候のもと、首都ワシントンのキャピトル・ヒルにたつ連邦議会議事堂前の広場は、新しい指導者の就任式を一目見ようと、大勢の観衆が詰めかけた。目立つのは「MAKE AMERICA GREAT AGAIN(アメリカを再び偉大に)」と書かれた赤い帽子をかぶった人々だ。

 正午ごろ、真っ赤なネクタイを締めた大柄の男がマイクの前に立つと、観衆からどっと歓声がわきおこった。

 第45代米国大統領、ドナルド・J・トランプ。

拡大ワシントンの米連邦議会議事堂前での就任式で宣誓するトランプ新大統領=2017年1月20日、ランハム裕子撮影

 トランプ氏が就任演説で力を込めて描き出したのが、米国は犯罪やギャング、麻薬問題で荒廃のさなかにあるというディストピアだ。そのありようを「米国における『殺戮』(carnage)」と表現した。そして米国をこれほどまでに荒廃させた最大の元凶が、勤勉な米国人の富を簒奪してきた諸外国だとして敵意をあらわにした。

「何十年もの間、我々は米国の産業を犠牲にして外国の産業を豊かにしてきた。自国の軍隊の悲しむべき疲弊を許しておきながら、他国の軍を援助してきた。我々自身の国境を守ることを拒否しながら、他国の国境を防衛してきた。そして、米国のインフラが荒廃し、劣化する一方で、何兆ドルも海外につぎ込んできた。我々の国の富、強さ、自信が地平線のかなに消えていったさなかに、我々は他国を裕福にしてきたのだ」(The White House. “The Inaugural Address.” 20 January 2017.

  トランプは右手の人さし指を立てる独特のしぐさをしながら「しかし、これはもはや過去の出来事だ」と語り、こう強調した。

 「この日からアメリカ・ファーストだけになる。アメリカ・ファーストだ」

 米国の利益だけを最優先に考える――。

 トランプ氏の訴えの根底にあるのが、米国は他国からだまし取られてきた、という不満だ。自身が米国民の利益に反すると判断すれば、歴代政権のもとで継続してきた政策であっても、外国との約束や国際的な合意は反故にしても良いと一貫して考えている。

 トランプ氏は就任式から3日後、オバマ前政権が日本を含む12カ国で批准を目指した環太平洋経済連携協定(TPP)から離脱するための大統領に署名。その後も地球温暖化対策の国際ルール「パリ協定」、国連教育科学文化機関(ユネスコ)、イラン核合意、ロシアと結んでいた中距離核戦力(INF)全廃条約など国際的な約束や機関からの離脱・破棄を次々に決めた。

 トランプ氏が最初に「アメリカ・ファースト」という言葉を使ったのは、2016年3月の米紙ニューヨーク・タイムズとのインタビューとみられる。トランプ氏は「(私は)孤立主義者ではないが、アメリカ・ファースト主義者だ」と強調し、「私はこの表現が好きだ」と語った。

 トランプ氏は米国の同盟国が米軍の海外駐留経費負担を支払わなければ米国との同盟関係を再考すると述べ、「我々はこれ以上、だまし取られない」と強調した (Sanger, David E. and Haberman, Maggie. “In Donald Trump’s Worldview, America Comes First, and Everybody Else Pays.” The New York Times 26 March 2016.)。

 トランプ氏はこれ以前に「アメリカ・ファースト」という言葉は使っていなかったが、ニューヨークの不動産王として知られていた1980年代から、日本など裕福な他国が「米国を利用し続けてきた」と主張している(Ben-Meir, Ilan. “That Time Trump Spent Nearly $100,000 On An Ad Criticizing U.S. Foreign Policy In 1987.” BuzzFeed News 10 July 2015.)。

 「アメリカ・ファースト」という言葉は最近では、2000年大統領選に第三党・改革党から出馬した保守派重鎮、パット・ブキャナン氏が選挙スローガンとして使っていた。トランプ氏は当時、ブキャナン氏と同じ改革党からの出馬を一時模索しており、ブキャナン氏の言動に注意を払っていた可能性がある。

拡大パット・ブキャナン氏の自宅に飾られた自身の肖像画。1992年大統領選の共和党のアイオワ州党員集会の際、バスに乗って選挙キャンペーンをしている姿が描かれている=ランハム裕子撮影

 ブキャナン氏はリンドバーグ氏らの率いたアメリカ・ファースト委員会を「英国とドイツによる狂った第二次世界大戦に米国が巻き込まれることを望まなかった、名誉ある米国人の愛国者グループ 」(NPR transcript. “Pat Buchanan On 'America First' Under Trump.” 22 January 2017.)だと主張していた。大統領選ではアメリカ・ファースト委員会の名称をもとに「アメリカ・ファースト!」と語尾に「!」をつけた選挙スローガンを用い、米国による他国への軍事介入に反対するとともに、米国が世界貿易機関(WTO)や北米自由貿易協定(NAFTA)から離脱するべきだと訴えた。

 ブキャナン氏はニクソン大統領の大統領特別補佐官を務め、レーガン大統領のもとで米ホワイトハウス広報部長を務め、大統領選に過去三回挑戦した経歴をもつ。

 2000年大統領選で改革党から出馬する以前には、1992年大統領選で再選を目指すジョージ・H・W・ブッシュ大統領と共和党候補者指名を争い、1996年大統領選ではボブ・ドール上院議員と共和党候補者指名を争った。

 共和党政権ではレーガン政権以来、他国への軍事介入に肯定的でグローバリズムを推し進める新保守主義(ネオコン)が台頭してきたが、ブキャナン氏はネオコンとは正反対に、米国の伝統的な孤立主義や反自由貿易を掲げる伝統的保守主義(ペイリオコン)の代表格だった。1992年の共和党全国大会ではリベラル派の価値観と戦う「文化戦争(カルチャー・ウォー)」を唱え、今も米国社会で続く大きな論争を引き起こした人物でもある。


筆者

園田耕司

園田耕司(そのだ・こうじ) 朝日新聞ワシントン特派員

1976年、宮崎県生まれ。2000年、早稲田大学第一文学部卒、朝日新聞入社。福井、長野総局、西部本社報道センターを経て、2007年、政治部。総理番、平河ク・大島理森国対委員長番、与党ク・輿石東参院会長番、防衛省、外務省を担当。2015年、ハーバード大学日米関係プログラム客員研究員。2016年、政治部国会キャップとして日本の新聞メディアとして初めて「ファクトチェック」を導入。2018年、アメリカ総局。共著に「安倍政権の裏の顔『攻防 集団的自衛権』ドキュメント」(講談社)、「この国を揺るがす男 安倍晋三とは何者か」(筑摩書房)。メールアドレスはsonoda-k1@asahi.com

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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