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パラサイト、BTS…古家正亨が語る「世界の韓流」

DJ古家正亨が語るウラオモテ(上)

市川速水 朝日新聞編集委員

 韓国映画「パラサイト 半地下の家族」が2020年2月、米アカデミー賞を総なめした。ヒップホップ・グループ「BTS」も米ビルボードで1位を獲得するなど、韓国発のエンターテインメントは今、日本やアジアを飛び越えて世界のショービジネス界を席巻しようとしているように見える。

 歴史を振り返れば、韓国が国策としてエンターテインメントに力を入れて海外進出を志し、最初に成功したステップが、日本での「韓流」だった。

 テレビドラマ「冬のソナタ」と、主演のペ・ヨンジュン(ヨン様)ブームから17年。この間、ラジオDJとして韓流を初めて日本で本格的に紹介し、今も韓流解説の第一人者としてDJやコンサート、ファンミーティングのMC(司会)、ジャーナリストとして語り続けてきた古家正亨(ふるや・まさゆき)さん(45)に、「韓流ブームと日韓関係」について聞いた。

韓国大衆文化ジャーナリスト、DJ、MC、大学教員と多彩な顔を持つ古家正亨さん=2020年2月6日、東京都中央区、筆者撮影

 韓流の本質とは何か? 日本でのブームはなぜ浮き沈みを繰り返すのか? 外交関係が文化交流に与える影響は? 韓国芸能界が抱える「病」とは? そして韓流の未来は? 日本は追いつけるのか?―― 素朴な疑問をぶつけた。

「Toy」聴いて異次元の衝撃

――韓国の大衆文化と出会ったきっかけを教えてください

 「僕の場合、歌がきっかけでした。23年前のことです。それまで洋楽やJ-POPを聞いて育ったのですが、アジアの音楽については興味も関心もありませんでした。というより、触れる機会がなかったからと言えるかもしれません。

 そんな僕が初めて、韓国を代表するシンガーソングライターとして知られているユ・ヒヨルのプロジェクト『Toy(トイ)』の曲を耳にした時に『いったい何なんだ、この音楽は?』と衝撃を受けました。

 東洋的だけど、日本っぽくない。西洋的なんだけど、同時に演歌っぽい感じもする。歌詞の意味も分からないのに、なぜか、もの悲しい。

 韓国には、日本と近いようでまったく違う歌の文化があることをこの瞬間、知ったのです。異次元の体験でした」

――1990年代後半、韓流の少し前でアジア金融危機のころですね

 「地元の北海道医療大学を卒業後、カナダに留学していた時のことでした。大学3年の時からFMラジオ局『FMノースウエーブ』でDJをしていたのですが、卒業してプロの道に進む前に、英語はもちろん、自分の専攻である音楽療法を学び、人生経験を積みたいと思い、環境の良さも含めてカナダ留学を決意しました。

 大学の英語のクラスには、多くのアジア人、特に韓国人がたくさんいました。それまで韓国のことに何ら関心がなく、韓国に関する知識もほとんどありませんでした。

 今は分かりませんが、僕の学生時代は歴史の授業で現代史は重視されず、卒業間近にさらっと教科書を読む程度で終わってしまったので、日本と韓国の関係について、もちろん自分の勉強不足ということもありますが、ほとんど理解していなかったんです。

 あえて言うなら、ニュースで流れる(北朝鮮の国営通信である)朝鮮中央通信の人のイメージ。そして反日的な人々という程度の認識です。カナダでの最初の印象も決して良くはなく、むしろなるべく関わりたくないというのが本音でした。

 ただ、僕の顔が韓国の当時の人気コメディアンに似ていたようで、韓国の人たちから僕に積極的に声をかけてくるようになったんです。それがきっかけになり、自然といつの間にか、韓国人コミュニティーの中にいるようになりました。

 そんな韓国との出会いの過程で、僕の誕生日にその韓国人の友人の一人がプレゼントしてくれたのが『Toy』のCDだったんです」

――それで韓国留学もしようと…。話がずいぶん飛躍しているようですが

 「カナダで僕は、自分がいったい何者なのだろうと考え始めていました。アジア人なのだけれど『アジアの中の欧米人』という意識が、自分のどこかにあったのではないかと気づき始めたんです。

 でもカナダでは『中国人か、韓国人か』と聞かれる。最初は『いや、日本人、ジャパニーズだ』と、自分は中国人でも韓国人でもなく日本人であることを主張していたんです。そう、思われたくなかったから。

 ただ日本人ということに誇りを持って満足しているのは自分だけで、他人から見たら、何人だろうとどうでもいいわけです。そこで初めて自分はアジア人だという自覚が生まれました」

 「だとすれば、アジアの文化とは何か? 韓国とはどんな国なのか。日本より遅れているイメージしか持っていませんでしたし、特に韓国や中国の現代史については何も知識がありませんでしたし。百聞は一見に如かず。まずは韓国に行ってみたい。自然とそういう気持ちが芽生え始めたんですね。

 『韓国に住んでみたい、留学してみたい、とにかく行ってみたい』と韓国人の友達に相談しました。すると『IMF金融危機の時に、なぜ日本人がわざわざ韓国に行かなくてはならないのか。せっかくカナダに来たのに。日本人が韓国で学ぶことなど何ひとつないでしょう』と猛反対されたんです。

 あれだけ母国に熱い気持ちを持っている『愛国心の塊』のようなイメージの韓国の人なのに、不思議と全員が僕の韓国行きを反対したんですね。

 でも結局、そんな友達のおかげもあって、カナダですべての手続きをし、カナダからそのまま日本に帰国せずに韓国に向かい、高麗大学に留学しました」

2020年2月、最新アルバムの事前予約400万枚突破という大記録をつくった「BTS」

「ビビンバ文化」と「恨」(ハン)のもの悲しさ

――「似ているようで違う」という韓国文化の本質を現地で探し当てましたか?

 「韓国の歴史を自分なりに学び、経験値を積んだうえでいえば、韓国の大衆文化の発展の歴史、その背景にはこれまで韓国という国が歩んできた歴史と、深い関係があるように思います。

 様々な国に事実上統治されてきて、その中で強制された文化もあったでしょうし、禁止された文化も当然ありました。そのなかで韓国の人たちは、その時代その時代に得たノウハウだったり、厳しい状況から、一歩飛び出して行こうという思いだったり、そういったものが複雑に絡み合って生まれたのが、今の韓国の大衆文化のような気がします。

 韓国特有の文化をよく『ビビンバ文化』といいますよね。様々な要素をあれこれ加えながら、最後はコチュジャン(唐辛子味噌)を入れて、かきまぜて一つの料理にしてしまう。そのような要素が韓国の大衆文化にもあるような気がするのです。

 朝鮮戦争以来、駐留する米軍とともに入って来たジャズや、日本の統治時代に入ってきた歌謡曲。歌もいろいろな要素が絡み合い、そこに韓国独特の『恨(ハン)』という、僕もいまだにどうしても理解できない感情が加わる。『恨』は、もの悲しく、何か胸がしめつけられる思いですよね」

――「冬のソナタ」が日本で爆発的なブームを起こす前夜の2003年、ソウルで主演ペ・ヨンジュンさんのファンミーティングのMCをされたのが韓流の最初の仕事ですね。MCや韓国語の通訳を通じて学んだ韓国文化も多かったようですね

 「2004年から韓国のMTV KOREA(現SBS MTV)でJ-POPを紹介する番組のVJ(司会・曲の紹介)を任される機会に恵まれました。韓国語の台本を当時は丸暗記して、韓国語で番組を進行しなくてはならないので、その時に覚えた放送的な表現が、今も自分の韓国語の知識、そして仕事に生きています。放送人が話す韓国語には、独特なものがありますから。

 例えば映像を流す直前に、日本語であれば『では、ご覧ください。どうぞ』みたいな感じで紹介すると思うのですが、韓国語ではほとんどの司会者が『ハムケ・ポシジョ(함께 보시죠)』という風に言います。これは直訳すると『一緒に見ましょう』となりますが、日常生活ではまず使わないでしょう。

 それから『ヘンボッカセヨ(행복하세요)』でしょうか。

 これは僕の人生における韓国語で一番大切にしている言葉です。今も自分の番組の最後に必ず『ヨロブン(みなさん)、ヘンボッカセヨ~』と言って番組を終わらせます。日本語だと『またお会いしましょう』的な意味で使われますが、韓国語を直訳すれば『幸福でいてください』になります。僕はそこに韓国的な愛を感じるんです。

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