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新型コロナウイルスから身を守る「エゴイズム」の権利

三島憲一 大阪大学名誉教授(ドイツ哲学、現代ドイツ政治)

 だんだんわかってきたことがある。それは、新型コロナウイルスに対する日本政府、もしくは検疫・防疫当局(つまり厚生労働省)の見通しが甘かったということだ。こういう時はワースト・シナリオを想定して対応すべきなのに、希望的観測の方にもたれかかってしまったのだろう。

 飛行場のサーモグラフで入国者の熱をはかっても、発症前にすでに他のひとに感染させることがあるという情報には、私でも接していた。中国政府が団体旅行を禁止する前に、やんわりと要請するべきだったろう。国内在住者に関しても、もっと早くから検査の体制を整備し、検査の対象を拡大しておくべきだったろう。発生早期と定義され、対象者を拡大した途端に1日あたりの検査能力が3000件に増えたのだから、キャパはあったのだ。

 ダイヤモンド・プリンセス号は、当局から見れば「とんだ迷惑」かもしれないが、停泊後1週間経っても、毎日何十人という感染者が出たということは、入港以前の感染が潜伏期間を経て発症したという論理だけでは説明しきれないことは、専門家でなくてもわかる。入港前は毎晩パーティをやっていた以上、それによる感染数が多いことも認めるとしてもだ。職業上乗船した検疫関係や厚労省の職員、それに医療従事者が感染しているのも、入港後の拡大を推定せざるを得ない。その方々が、入港前に国内のどこかで感染したことも考えられる――と官僚なら言うかもしれないが、無理筋だ。

 日本国内でも、「危ない」「このままではウイルス製造の地獄船だ」という警告は入港数日後から出ていた。早めに、金銭と労力を厭わずに、全員検査に踏みきるべきだったろう。しかし、「それは無理だ」式の議論でワースト・シナリオに対応せず、「もうじきおさまるだろう」の希望的観測ないし事なかれ主義に負けてしまった。

 ちょうどこれを書いている時に、ダイヤモンド・プリンセス号から陰性の乗客が下船して、公共交通機関などで自宅に向かうシーンがテレビに流れていた。国会でも取り上げられたそうだが、なぜさらに14日間、しかるべき施設に滞在していただかないのだろうか。ホテルニューオータニに1泊5000円で泊めてもらったら、などという嫌味たっぷりの書き込みもネットには見受けるが。アメリカからのチャーター機で帰国したアメリカ市民の乗客は、どこかの空軍基地のしかるべき施設で2週間過ごすそうだし、韓国も当然のようにそうした措置をとると、報道されている。

ダイヤモンド・プリンセス号を下船した乗客を乗せたバス(ナンバーをモザイク加工しています)=2020年2月19日午前11時52分、横浜市鶴見区20200219拡大ダイヤモンド・プリンセス号を下船した乗客を乗せたバス(ナンバーをモザイク加工しています)=2020年2月19日、横浜市鶴見区

 下船して日本国内の自宅などに帰る人々が、これから2週間以内に誰も発症しないとしたら、ほとんど奇跡だろう――さすが神の国ニッポンということになるだろう。2月21日午後の段階で、オーストラリアに同政府差し回しの飛行機で戻った乗客のうち二人が、出発前の日本では陰性だったのが、到着後に陽性と出た、とBBCが伝えている。日本国内の自宅に戻った方々でも同じことになりそうだ。結局は高くつくワースト・シナリオの可能性が高いのに、専門家の警告にもかかわらず(もっとも専門家でなくてもそのくらいのことはわかるが)希望的観測がここでも通るようだ。「家で静かにしてもらっていれば、大丈夫だろう」「かりに数人発症しても、リンクは辿れる」などなど。

 もしも万が一、天照大神のおかげで発症者が出なかったとしても、ワースト・シナリオを想定して、隔離すべきだった、というテーゼの正しさには変わりがない。感染予防は博奕ではないのだ。巨大なクルーズ船が保菌者ごと入港するのは「想定外だった」という議論では通用しない。


筆者

三島憲一

三島憲一(みしま・けんいち) 大阪大学名誉教授(ドイツ哲学、現代ドイツ政治)

大阪大学名誉教授。博士。1942年生まれ。専攻はドイツ哲学、現代ドイツ政治の思想史的検討。著書に『ニーチェ以後 思想史の呪縛を超えて』『現代ドイツ 統一後の知的軌跡』『戦後ドイツ その知的歴史』、訳書にユルゲン・ハーバーマス『近代未完のプロジェクト』など。1987年、フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルト賞受賞、2001年、オイゲン・ウント・イルゼ・ザイボルト賞受賞。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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