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『パラサイト』で日韓を考え抜く~ソン・ガンホの言葉とポン・ジュノの微笑

佐藤章 ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長

日本による韓国併合

 この緊張の原因をたどってみると、当然、1950年6月に勃発し、1953年7月に休戦協定が結ばれた朝鮮戦争に至り着くが、さらにその先を探ってみると1910年の日本による韓国併合が大きい要因として横たわっていることに気がつく。

 西欧列強に比べてはるかに遅れて近代化に乗り出した日本は、近代化や資本主義化の面でさらに遅れていた李王朝朝鮮を支配下に置いた。

 李王朝は中央集権国家だったが、その実、集権体制は弱かった。米国の歴史学者ブルース・カミングスによる歴史的な名著『朝鮮戦争の起源』によると、李朝朝鮮の支配体制はむしろ貴族階級である両班(ヤンパン)が実質的に握っていた。

 この両班階級による李朝朝鮮政府への侵食が国力を弱め、日本の支配に対する抵抗力を奪った。日韓併合条約とともに、実質的な植民地統治機構である朝鮮総督府庁舎がソウルに建設された。

拡大朝日新聞の「秘蔵写真が語る戦争」(2009年4月30日発行)に掲載された植民地支配の拠点だった朝鮮総督府の庁舎=撮影時期は1926年の建設以降

 この庁舎は1945年の日本敗戦以降も韓国政府の中央庁舎の一部として使われていたが、1993年、金泳三政権によって取り壊しが指示された。

 庁舎を精しく調査した結果、地下に拷問室が存在することがわかった。部屋に排水路などが設えられていることから、水責めなどの拷問が行われたのではないか、と推定されている。

 カミングスによると、朝鮮総督府は朝鮮国家のあらゆるものから屹立していた。その支配体質は「全体主義的」という言葉でも穏健過ぎるもので、朝鮮人社会を巧妙に操って日本への協力者を増やし、朝鮮人同士の内紛を煽った。

 全体主義支配の常套手段devide and rule(分割と支配)で社会を押さえ込み、日本本土の利益のために朝鮮人社会の余剰を搾り取った。

 1940年代後半に南北に分かれていく朝鮮半島の淵源は、このような日本に対する抵抗運動の存在にあった。

分裂国家と戦前日本の傷跡

 日韓併合の前後から続いていた抵抗運動は、1930年代にいたって、満州・朝鮮国境地帯でひとりの抗日パルチザンに光を当てるようになった。現在の朝鮮労働党委員長、金正恩の祖父、金日成だ。

 金日成は数百人の朝鮮人遊撃隊を率い、日本軍から数多くの勝利をもぎ取った。日本が真珠湾を攻撃し日米戦争に突入すると、自らは満州とシベリアの国境地帯まで後退した。

 数多くの同志が命を落とし、日本軍に捕まってしまった中で、日本軍からの追跡、拘留を免れた。金日成はさらにソ連で教育、訓練を受け、戦後ソ連軍艦に乗って朝鮮半島に帰り、ソ連占領下の朝鮮半島北部で支配者の地歩を築いていく。

 戦後の朝鮮半島にとって不幸だったのは、1945年4月まで存命だった米国のフランクリン・ルーズベルト大統領が、「朝鮮人もまだ独立政府を運営するだけの能力を身につけておらず、従って40年間は後見者の下における訓練を受ける必要がある」(カミングス前掲書)という理解しか持っていなかったことだ。

 朝鮮半島を南北に分けた北緯38度線も米国の陸海軍担当官が実質的に30分で決めた。独立政府樹立を目標に準備を進めていた朝鮮の建国準備委員会の人々の中には、やむなく北部に向かって出立する人もいた。

 北部はソ連と中国の後ろ盾を得て北朝鮮として独立し、南部は米国の全面協力の下に韓国として出発した。朝鮮戦争を経て、1989年の東西融和の後も朝鮮半島だけ分裂国家として残された。そして、その歴史と感情には戦前日本の傷跡がまだ生々しく残っている。

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筆者

佐藤章

佐藤章(さとう・あきら) ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長

ジャーナリスト学校主任研究員を最後に朝日新聞社を退職。朝日新聞社では、東京・大阪経済部、AERA編集部、週刊朝日編集部など。退職後、慶應義塾大学非常勤講師(ジャーナリズム専攻)、五月書房新社取締役・編集委員会委員長。最近著に『職業政治家 小沢一郎』(朝日新聞出版)。その他の著書に『ドキュメント金融破綻』(岩波書店)、『関西国際空港』(中公新書)、『ドストエフスキーの黙示録』(朝日新聞社)など多数。共著に『新聞と戦争』(朝日新聞社)、『圧倒的! リベラリズム宣言』(五月書房新社)など。

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