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新型コロナウイルスに揺さぶられる憲法

法からコードへ アーキテクチャがルールを強いる

塩原俊彦 高知大学准教授

 このサイトに「「サブスク」が世界を変える:「所有=法律」から「利用=コード」へ」を書いた。サブスクの広がりは、「所有」から「利用」へという変化をもたらすが、それは「法律」から「コード」へという変化に対応していると説いた。

 所有権や所有権者を保護するために各種法律が制定され、その法律の執行が国家や自治体の警察などによって保障されるというのが近代国家の前提であった。しかし、所有よりも利用が優先されるようになると、こうした法律に基づく規制ではなく、対象となるサービスを提供する者と享受する者との間の契約ないしコードといったものが重要になる。

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 具体的にいえば、サブスクでサービス提供者と個人との間で結ばれるエンド・ユーザー・ライセンス協定(End User License Agreement, EULA)や、クラウドサービス会社が顧客である利用者との間で締結する、どの程度の品質を保証するかを明示したサービスレベル協定(Service Level Agreement, SLA)などがそれにあたる。

 法律は近代国家を構成する国民によって選挙で選ばれた代理人による立法化されるが、契約やコードは当事者間の交渉で決められるから、この「法律」から「コード」へという変化は実に大きな意味合いをもつ。

コードの「横暴」

 具体的に、コードはどんな「横暴」を働いているのだろうか。近く学術誌『境界研究』で公開される拙稿「サイバーとリアルな空間における「裂け目」:知的財産権による秩序変容」のなかでつぎのように例示したことがある。

 「具体的に問題になっているのは、トラクターの修理である。たとえばある農民がジョン・ディアのブランド知られるトラクターの修理をしたいと思っても、その農民がトラクターの修理・修繕を制限するエンド・ユーザー・ライセンス協定(EULA)をジョン・ディア側と結んでいる場合には、農民は勝手にトラクターを修理できない。そもそも勝手に手を加えると、トラクターそのものが停止してしまう。修理するには、ジョン・ディア側が認証するサービス業者に依頼するしかない。その場合、高額の費用がかかるだけでなく、迅速な対応を期待でいないという事態が待ち構えている。」

 こうした「身勝手な横暴」にみえることが相互に合意したコードのもとで可能となっている。技術的な高度化がコードを通じて、その技術を用いてサービス提供するものと享受するものとのルールが定められるのだ。法律は技術変化についていけず、後追いになるだけで、取引ルールは「契約からコードへ」、国家レベルでは、「法からコードへ」という変化が生じる。それを技術が促していることになる(小塚荘一郎著『AIの時代と法』)。

 この場合の「コード」は「アーキテクチャ」と言い換えることができる。アーキテクチャはもともと建築を意味する言葉だが、ここでは技術がつくり出す枠組みのようなものを意味している。この枠組みがルールを強いるのであり、それは民主的手続きに基づいて制定される法律といったルールとはまったく別のものだ。

国家を超える法規制

 2018年3月、米国の「2018年包括歳出予算法」の一部として、「海外データ合法的使用明確化法」(Clarifying Lawful Overseas Use of Data Act, CLOUD法)が制定された。米裁判所の令状があれば、たとえそのデータが海外のサーヴァー上に保存されていたとしても、事業者は

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