古代ローマの「独裁官」制度から考えた今の日本の緊急事態に必要なこと
2020年03月08日
新型コロナウィルスの拡大がとどまるところを知らない。日本でも政府による小中高の「一斉休校」、入国制限の強化などの決定が続いている。ウィルスのさらなる感染拡大を防ぐため、今週にも「緊急事態宣言」を可能にする法案が成立する見込みである。このような事態をどのように捉えるべきか、不安に思う人も少なくないはずだ。
小中高の一斉休校の要請については、はたして内閣にそのような法的権限があるのかが問題となった。その意味で、学校の停止はもちろん、イベントの開催制限、土地・建物の強制使用、医療品の収用などを行うにあたって、「緊急事態宣言」を出せればその法的根拠となる。この法案に対し野党にも協力の動きも見られるが、私権を大きく制限することが可能なだけに慎重な判断が求められるだろう。
問題は危機対応と民主主義との関係にある。平時ならいざ知らず、緊急事態にあたっては、ある程度、トップダウンの決定も必要ではないか。そのために民主主義が一時的に制限されるとしても、やむをえないのではないか。そのような議論もありうるだろう。しかし、ここはさらなる検討が必要である。
政治の歴史を振り返ってみると、古代ローマに「独裁官」という官職があったことが注目される。この言葉はいわゆる「独裁(dictatorship)」の語源となったものであり、名前だけを聞くと、一瞬ギョッとしてしまうかもしれない。
ただし、この制度が興味深いのは、それがあくまで制度的なものであることだ(詳しくは拙稿「政治思想史における危機対応―古代ギリシャから現代へ」―東大社研・玄田有史・飯田高編『危機対応の社会科学 上』東京大学出版会―を参照)。
事実上、独裁的な権力を持った人物ならば、歴史にいくらでもいる。しかし、このローマの「独裁官」は、あくまで制度的なものであり、非合法な存在ではなかった。
「独裁官」は戦争や内乱などの緊急事態にあたって任命され、超法規的な措置を行う権限を持っていた。ただし、その権限は無限に続くものではなく、一定の時間が過ぎると終了する。
重要なのは、任務の終了後に、その任務をよくはたしたかどうか厳しく審査された点だ。もしその強大な権限を濫用(らんよう)したと判断されれば、処罰を免れなかったことが制度の特徴である。
その意味で、古代ローマの政治的知恵は、緊急時には平時と違う政治的対応がありうるという前提のもと、あくまで事前に制度を準備し、事後に厳しく審査したことに見出せる。緊急事態の名の下に、人民と元老院からなる通常の政治システムによるチェックが否定されたわけではないことを、十分確認しておく必要があるだろう。
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