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トランプが信奉する「民衆の大統領」

第2部「共和党からトランプ党への変貌―支持率9割の熱狂」(4)

園田耕司 朝日新聞ワシントン特派員

トランプ大統領が政権幹部の首切り人事を断行し続けて政権基盤を固めることができたのは、共和党支持者たちの9割近くの圧倒的な支持があるからだ。政権発足当初はトランプ氏に批判的な態度を取っていた共和党主流派の議員たちも「共和党支持者=トランプ支持者」という状況のもと、トランプ支持へと雪崩を打ち、今ではトランプ批判は共和党議員たちにとって「タブー」となった。トランプ氏が共和党支持者から熱狂的な支持を受けるようになった背景を探る。

孤児から大統領になったジャクソンの反エリート主義

 米南部テネシー州のナッシュビル国際空港から車を約20分走らせると、放し飼いの馬の群れが牧草をはむ広大な農場が見えてくる。第7代大統領アンドリュー・ジャクソン(1767~1845年)の歴史博物館「ハーミテージ」だ。

 もともとジャクソンが経営していたプランテーションを往事のままに保存したものであり、美しく手入れされた1120エーカーの園内には、ジャクソンが生前過ごしたギリシャ・リバイバル様式の白い旧邸宅が建つ。南部アメリカの繁栄ぶりをしのぶことができる博物館だ。

拡大米テネシー州ナッシュビルの歴史博物館「ハーミテージ」にあるジャクソン大統領の巨大パネル=園田耕司撮影

 運営するアンドリュー・ジャクソン財団のアン・ディー・ジョーンズ副会長によると、2019年は約24万人の観覧者が訪れた。

 ジョーンズ氏は「この博物館を人々が訪れるのは、ジャクソン大統領が米国の歴史と大統領のあり方について長い間影響を与え続けた、建国期の重要な大統領の一人でからだ(アン・ディー・ジョーンズ氏への取材。2020年2月3日)」と語る。

 ジャクソンの肖像画は20ドル紙幣に使われるほど、歴代大統領の中でも人気の高い人物である。

 ジャクソンは1767年、ノースカロライナ州とサウスカロライナ州の境界線付近に住むスコッチ・アイリッシュ系移民の母子家庭に生まれた。13歳で民兵部隊に入って独立戦争に従軍したのち、母親も2人の兄も亡くなって孤児となった。その後、勉強して法律家の資格を取ってテネシー州に移り住むと、同州選出の上下院議員を務めた。

 大きな転機は、1812年に勃発した米英戦争だ。英国軍が米国内に侵攻し、首都ワシントンではホワイトハウスが焼き打ちされるなどの苦戦が続いたが、ジャクソンは陸軍部隊を率いて参戦。ニューオーリンズの戦いに勝利し、一躍国民的な英雄になった。

 ジャクソンは1829年、大統領に就任した。それまでの歴代大統領はマサチューセッツ州とバージニア州で占められていたが、南部テネシー州を地盤とするジャクソンは初めてこの2州以外からの大統領となった。

 ジャクソンは反ワシントン・エリート主義を掲げ、政権交代時にジャクソンの支持者を大量に送り込むスポイルズシステム(猟官制度)を導入した。選挙で勝利した際のスポイルズ(戦利品)を自身の協力者に分け与える仕組みであり、これまでワシントンのエリートたちが独占してきた権益を破壊する制度だったといえる。

 米国では現在も大統領が交代するたびに約四千もの政治任用職が入れ替わっており、スポイルズシステムは現在の政治任用制度のさきがけとなっている。また、ジャクソン政権下においては成年白人男子に対する普通選挙権が全国的に拡大するなど、30年代は「ジャクソニアン・デモクラシー」と呼ばれるようになった。

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筆者

園田耕司

園田耕司(そのだ・こうじ) 朝日新聞ワシントン特派員

1976年、宮崎県生まれ。2000年、早稲田大学第一文学部卒、朝日新聞入社。福井、長野総局、西部本社報道センターを経て、2007年、政治部。総理番、平河ク・大島理森国対委員長番、与党ク・輿石東参院会長番、防衛省、外務省を担当。2015年、ハーバード大学日米関係プログラム客員研究員。2016年、政治部国会キャップとして日本の新聞メディアとして初めて「ファクトチェック」を導入。2018年、アメリカ総局。共著に「安倍政権の裏の顔『攻防 集団的自衛権』ドキュメント」(講談社)、「この国を揺るがす男 安倍晋三とは何者か」(筑摩書房)。メールアドレスはsonoda-k1@asahi.com

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