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「打倒 芦部憲法学」弟子の長谷部恭男早大教授が語る

美濃部達吉「憲法講話」の出版から100年余。これは戦後憲法学への挑戦の書だ

豊 秀一 朝日新聞編集委員

「芦部憲法学」への批判の書

――過去のことを学ぶことの大切さを今回の本では強調されていますね。

長谷部 私自身の反省もあるのですが、美濃部や上杉慎吉(※東京帝国大学の憲法講座担当教授で極端な君権優位を唱えた。美濃部の論敵)について、戦後の憲法学者はあまり勉強しなかったように思います。そのため、いつの間にか上杉と同じ見解を述べているということがあるのです。

――例えば、どんなケースでしょうか。

長谷部 美濃部の国家法人理論を中途半端な学説だと言っているのが、私の師匠である芦部先生です。芦部先生は教科書で国家法人説に触れて、「君主主権か国民主権かという近代憲法が直面した本質的問題を回避しようとした」と説明しています。要するに中途半端な理論だと言っているのですが、実は、上杉が言っていることと同じなのです。彼の「憲法述義」という本は国家法人説をとりあげて、君主にも主権はないが、国民にも主権はないということを言う理論だという説明をしています。

――今なぜ、美濃部や上杉の議論を振り返る必要があるのでしょうか。

長谷部 そもそも、法人でないとすると国家は何なのでしょうか。法律学的に国家をめぐる法現象を理解しようとすると、国家が法人だという前提をとらないことがありうるのか。これは私自身がずっと抱いていた疑問でした。そこを考えていく必要があるということです。

 国家法人理論をとらずに、大日本帝国憲法の言葉を文字通りに受け取った時に何が起こるのか。美濃部が、「憲法撮要」の中で面白い説明をしています。

 若シ統治権ガ君主ノ権利ナリトセバ、戦争ハ君主ノ私闘トナリ、租税ハ君主ノ個人的収入トナリ、国営鉄道ハ君主ノ個人的ノ営業トナリ、法律勅令ハ君主ノ崩ズルト共ニ其効力ヲ失フモノトナラザルベカラズ。其社会意識ニ反スルコト言ヲ待タズ

 国家法人理論なくして、法律学としての憲法学が成り立つのかどうかを考えないといけないということです。

――新著は、国家法人説を正面から位置づけるという点で、師匠である芦部先生の憲法学に対する批判の書という面もあるのでしょうか。

長谷部 打倒芦部憲法学です。芦部先生の憲法学で説明がつかないところが残っているのでいくつか解決しないといけないと思っています。それを考えるためにも、美濃部にまで立ち返って考える必要がありました。

拡大芦部信喜

――国家法人説は中途半端と言い出したのは、芦部先生なのでしょうか。

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筆者

豊 秀一

豊 秀一(ゆたか・しゅういち) 朝日新聞編集委員

1965年5月生まれ。1989年に朝日新聞社に入社し、青森、甲府両支局を経て、社会部で主に憲法・司法担当の取材を続けてきた。著書に「国民投票―憲法を変える?変えない?」(岩波ブックレット)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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