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在日米軍の「特権」を定めた日米地位協定の60年越しの問題(上)

東京の一等地にある赤坂プレスセンターとは? 北海道の空を縦横に飛ぶオスプレイ

山本章子 琉球大学准教授

米軍基地「赤坂プレスセンター」のヘリポートに離着陸する米軍の大型ヘリ=2019年5月22日、東京都港区

 今年は戦後75年、日米安保条約改定60年にあたる。また、大平正芳首相が1980年の訪米時に、米上院議員との朝食会の場で「日米同盟」という言葉を用いた、いいかえると、日本の首相が初めて公の場で、憲法9条の制約を超えた、日米の軍事的協力関係を肯定して40年たつ。
 戦後日本はまず、独立の回復を目指した。サンフランシスコ講和条約の発効によって、それを実現した1952年以降は、アメリカとの対等な同盟関係という「独立の完成」を目指した。その到達点が、1960年の安保改定だ。安倍晋三首相の祖父にあたる岸信介首相が、日米安保条約と日米行政協定を全面改定し、新条約と日米地位協定を成立させる。
 しかし、安保改定は実のところ、「独立の完成」と呼べるものではなかった。その理由は、日米地位協定にある。戦後と日米同盟関係の節目を迎えた2020年のいま、日米地位協定の問題を、現状と歴史の両方から明らかにしておきたい。

日米地位協定とは

日米安全保障条約署名60周年記念レセプションで、鏡開きをする(左から)河野太郎防衛相、茂木敏充外相、麻生太郎副総理、安倍晋三首相、故アイゼンハワー元米大統領の孫メアリー氏、ひ孫メリル氏、ヤング駐日臨時代理大使、シュナイダー在日米軍司令官=2020年1月19日、東京都港区の飯倉公館、代表撮影

 日米地位協定。それは、在日米軍の「権利」について取り決めた日米両政府の間の合意である。

 「権利」は「特権」といいかえてもよいかもしれない。その特色は、外国軍である米軍に、日本の法律の適用除外を認めていることにある。主に、在日米軍の①専用施設の使用、②訓練や行動範囲、③無理のない経費負担、④身体の保護、⑤税制・通関上の優遇措置、⑥生活を守るために日本の法律を適用しないような仕組み――が作り上げられている。

 それによって、日米地位協定の問題、すなわち、米軍が認めない限りは日本が望んでも軍基地・施設の返還や縮小が実現できず、米軍の起こした事件・事故の捜査や責任追及ができないという状態が、現在に至るまで続いてきた。

東京の一等地にある占領軍遺産

 東京都港区。近隣に青山霊園や新国立美術館、政策研究大学院大学が広がる一等地を、大きなヘリポートが占める。米陸軍の施設、赤坂プレスセンターだ。在日米軍は「ハーディ・バラックス」と呼ぶ。

 もとは旧日本陸軍駐屯地だったが、太平洋戦争に敗戦した日本を占領した連合国軍に接収されて以来、ヘリポートや米軍幹部の宿舎、米軍準機関紙「スター・アンド・ストライプス」の社屋などがおかれている。

 ヘリポートは、アメリカの要人が、米空軍横田基地(東京都)や米海軍厚木基地(神奈川県)などと、東京の中心部を移動する際に使われる。2019年5月にドナルド・トランプ米大統領が来日した際も、赤坂プレスセンターからヘリで首都圏を移動した。2007年には歌手のマイケル・ジャクソンが、米陸軍キャンプ座間(神奈川県)を慰問する折、赤坂プレスセンターを利用している。

 赤坂プレスセンターの宿舎には、米軍関係者であれば誰でも宿泊できる。一室に2部屋あり、3人まで泊まれる。寝室はクィーンサイズのベッドが2つ。居間にはテレビとソファ、テーブル、冷蔵庫。大きなシャワールームとトイレがまた別にある。各階に自販機と洗濯室が設置され、一階には円とドルの両替ATM機。さらに、コンチネンタルブレックファストの朝食サービスもついて、一泊約50ドル前後という破格の値段だ。

 赤坂プレスセンターの維持費は、「思いやり予算」でまかなわれている。思いやり予算とは、軍用地代や空港・港の使用料をのぞいて、在日米軍駐留経費は米側が負担するという日米地位協定第24条の規定に反し、日本政府が負担する米軍駐留経費のことだ。

 2020年7~8月に東京五輪が開催されれば、その時期に六本木で一泊約6000円前後のホテルを探すのは不可能だろう。だが、日本人の税金で維持されている赤坂プレスセンターに泊まる米軍関係者は、その限りではない。

 赤坂プレスセンターの近隣住民は、米軍ヘリの離発着による騒音や臭気に長年苦しんでおり、港区が2004年から施設の撤去を要請している。しかし、在日米軍が拒否していることから、日本政府は「在日米軍にとって、都心における唯一の人員輸送の拠点としての重要性を持っており、この施設の全面的な返還は困難」との立場だ。

アジア宇宙航空研究開発事務所(AOARD)や海軍研究事務所(ONRG)東京オフィスが入る米軍施設「赤坂プレスセンター」=東京都港区六本木

岡崎・ラスク交換公文が抱える問題

 このように東京の一等地に米軍専用施設が存在するのは、占領の「負の遺産」だ。

 1951年、日本はサンフランシスコ講和条約と同時に、日米安保条約を締結。翌52年に独立を回復する。日米安保条約は、日本の独立回復によって、占領軍だった米軍が同盟国軍に名を変え、ひきつづき日本に駐留するという内容だった。このときの日米間の争点の一つに、連合国軍が日本進駐の際に接収した施設を、いったん返還させたうえで、あらためて日本から米軍へと提供するかどうかという問題があった。

 米軍は、旧日本軍基地のほかに、連合国軍司令部として皇居前の第一生命館を接収。また、帝国ホテルや第一ホテル、聖路加国際病院や同愛記念病院、そごうや松屋、両国国技館や神宮球場、大学、住宅、港湾施設、倉庫など首都圏の施設を大量に占拠していた。日本政府は、独立の回復とともにこれらを返還するよう米側に求める。

 しかし、米政府は、米軍がひきつづき使いたい施設については、サンフランシスコ講和条約の発効後90日以内に日米合同委員会で協議し、両国が合意できない場合には暫定的に使用できるルールを要求。これは、講和条約の発効後90日以内に占領軍は退去するという、講和条約第6条の規定に反していた。結局、日米地位協定の前身である日米行政協定とは別に、岡崎勝男外相とディーン・ラスク国務次官が交換公文を取り交わす形で、米側の要求は通る。

 この岡崎・ラスク交換公文の問題点は、

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