メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

在日米軍の「特権」を定めた日米地位協定の60年越しの問題(下)

止まらない沖縄の米軍事故の究明をはばむ日米地位協定。問題解決の道はあるのか

山本章子 琉球大学准教授

 今年は戦後75年、日米安保条約改定60年にあたる。1952年のサンフランシスコ講和条約の発効によって独立を回復した戦後日本は、アメリカとの対等な同盟関係という「独立の完成」を目指し、岸信介首相が1960年、日米安保条約と日米行政協定を全面改定、新条約と日米地位協定を成立させる。だが、安保改定は実のところ、「独立の完成」と呼べるものではなかった。理由は日米地位協定にある。「在日米軍の「特権」を定めた日米地位協定の60年越しの問題(上)」に続き、日米地位協定の問題点を考えたい。

 その日は夏休みだった。映画を楽しむ親子。部活にいそしむ学生。それぞれの休日が過ぎていくはずだった。

 2004年8月13日昼過ぎ。

 米海兵隊普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に隣接した沖縄国際大学に、米軍のヘリコプターが墜落する。イラク戦争への出撃にそなえて訓練中の輸送ヘリCH53Dが空中でバランスを失い、学長などが仕事をする大学本館に激突、建物ごと炎上したのだ。学内で清掃作業中だった女性は、動転して大きな掃除機を抱えたまま大学を飛び出し、徒歩10分先の長田交差点まで逃げたという。

米軍に占拠・封鎖された沖縄国際大学

拡大米軍ヘリが墜落した沖縄国際大学の現場。機体は炎上し、原形をとどめていない。後ろはヘリがぶつかった1号館 =2004年8月14日、沖縄県宜野湾市

 事故発生直後、約50人の米兵が普天間飛行場と大学を隔てるフェンスを乗り越え、大学構内に無断進入。職員を立ち退かせ、大学を占拠・封鎖する。米軍は一般道の通行止めも行い、長田交差点まで規制した。

 近くを通りかかった宜野湾市在住の宮城裕也さん(当時17歳)は、交差点に規制線が張られて入れない、という異様な光景に衝撃を受けたという。普天間飛行場のそばに生まれ育ったが、米軍機が落ちるなど想像もしたことがなかった。宮城さんは、この体験がきっかけで沖縄国際大学に入学。新聞記者になる。

 沖縄県警も、大学学長も、宜野湾市長と沖縄県副知事も、日本政府関係者も、米軍に拒否されて事故現場に入れなかった。事故直後に現場を視察した、外務省の荒井正吾政務官は、県警が米軍に阻まれて現場検証できないのを見て、「日本はイラクではない。日本の領土であり、米軍が主権を持っているような状況はおかしい」と不快感を示す。

 日本人で現場に入れたのは、大学に宿営する米兵から注文を受けたピザ屋の配達員だけだった。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

山本章子

山本章子(やまもと・あきこ) 琉球大学准教授

1979年北海道生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。博士(社会学)。2020年4月から現職。著書に『米国と日米安保条約改定ー沖縄・基地・同盟』(吉田書店、2017年)、『米国アウトサイダー大統領ー世界を揺さぶる「異端」の政治家たち』(朝日選書、2017年)、『日米地位協定ー在日米軍と「同盟」の70年』(中公新書、2019年)など。

山本章子の記事

もっと見る