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公文書改竄で自殺した近畿財務局職員の「手記」を手に、私は石破茂に会いに行った

佐藤章 ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長

「権力は弱い人のために使うもの」

 その日の夕方6時30分ごろ、石破と連絡が取れた。携帯の向こうに出た石破は静かな声で話し始めた。

 「これは、本物でしょう。財務省は再調査はしないと言っているが、政治的に言って口が裂けても再調査するとは言えないでしょう。裁判を見てみないとわからないが、大変なことです。何でも末端から切られる。歴史の中ではこういうことはあったんでしょう。民事裁判が始まり、事実をどう押さえていくか、それを見てみたい」

 多忙の中で記事を読み、読後の感想がまだうまく整理できていないように見えた。

 私は、2018年の総裁選テレビ討論の時の静かな怒りの様子について聞いてみた。

――あのテレビ討論の時、石破さんは本当に怒っているように見えました。だから、今回感想を聞いてみたかったんです。

 「それは普通なら怒るでしょう。権力は弱い人のために使うものです。それが政治です」

 あらためてこう話し始めた石破は、突然自らの子ども時代の話を始めた。

 「私の家では本当に厳しかった。昭和30年代、40年代の鳥取県知事と言えば、その地方では大権力者です。その末っ子で長男と言えば、さぞ溺愛されたんだろうとみんな思うかもしれないが、とんでもない。厳しかった」

 石破の父、二朗は1958年に建設次官から出身地の鳥取県知事に転身。この最初の知事選の前には友人の田中角栄が東京都知事選への出馬を要請したが、それを断って故郷の鳥取で出た。

 「なぜ日本一小さい鳥取の知事を望むんだ」と聞く角栄に、二朗は「私は鳥取県人だ。鳥取に生まれ育ち、そして死ぬのだ」と答え、角栄は「郷土を思う至情に打たれた」と回顧した逸話が伝わっている。

 その知事選は激戦になり、東京の自宅では二朗の二人の娘がこたつに入り、開票を伝えるラジオ放送に耳を傾けていた。同じこたつには角栄も足を突っ込み、当選が決まると「これで安心だね」と言って帰って行った。そんな微笑を誘うお返しのエピソードも残っている。

 石破茂はこの二人の姉の末の弟。その弟の茂が物心つくころには二朗は2選、3選を重ねていた。

 「本当に厳しかったんです。お手伝いさんや県庁職員に私がちょっとでもぞんざいな態度を取ったら『出て行け』と言われて、一晩家に入れてもらえなかった。家には秘書課の人たちがよく出入りしていました」

 茂が小学校1年か幼稚園の年長のころ、家に来ていた秘書課の職員に「ぞんざいな口」を聞いたらしい。その冬の夜、茂は外に出され、一晩凍えて立っていなければならなかった。

 「父は夜の9時か10時ころに宴会の席から帰って来ることが多かったんですね。その時に、4人いたお手伝いさんがまだ起きていて食事の用意などをしていると、母に対して『お前は人のことがわかっていない』と叱っていました」

 テレビ討論の時の話から、なぜこのような話が出てきたかと言うと、石破は子ども時代の話を始める前に「安倍家の教育がどうだったかはわかりませんが」という前置きの言葉を語っていた。

 石破は安倍に気を使ってこの言葉は使わないように私に注意を促したが、ここに注意書きを残しておけばいいだろう。つまり、テレビ討論で見せた石破の怒りの背景には、子どものころ父親の二朗から授かった冬の教育があったということだ。

 恐らくは家に出入りしていた秘書課の職員たちとも親しくなったにちがいない。

 「権力は弱い人のために使うものです。それが政治です」

 この政治観、権力観は父親の二朗から受け継いできたものだろう。

拡大県議選の応援に駆けつけ有権者らと握手する石破茂氏=2018年12月2日、茨城県古河市

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筆者

佐藤章

佐藤章(さとう・あきら) ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長

ジャーナリスト学校主任研究員を最後に朝日新聞社を退職。朝日新聞社では、東京・大阪経済部、AERA編集部、週刊朝日編集部など。退職後、慶應義塾大学非常勤講師(ジャーナリズム専攻)、五月書房新社取締役・編集委員会委員長。最近著に『職業政治家 小沢一郎』(朝日新聞出版)。その他の著書に『ドキュメント金融破綻』(岩波書店)、『関西国際空港』(中公新書)、『ドストエフスキーの黙示録』(朝日新聞社)など多数。共著に『新聞と戦争』(朝日新聞社)、『圧倒的! リベラリズム宣言』(五月書房新社)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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