「中小零細企業は消費税を払えない」はミスリードと決めつけることこそミスリード
2020年03月22日
新型コロナウイルスの感染拡大で“コロナ不況”の様相を呈しつつある日本。リーマンショック以上とも言われる危機に対する景気対策の検討に入った政府では、消費税率の引き下げも浮上しています。長年、消費税のあり方を追及してきたジャーナリストの斎藤貴男さんが、消費税についてさまざまな角度から考えるシリーズ。今回は、れいわ新選組の山本太郎代表がかかげる「消費税廃止」を批判する元大蔵官僚・高橋洋一氏(嘉悦大学教授)の論考に対して、2回にわたって徹底反論します。(論座編集部)
山本太郎氏「消費税ゼロ」への高橋洋一氏の批判に徹底反論!(下)
『月刊Hanada』の3月号に、元大蔵官僚・高橋洋一氏(嘉悦大学教授)の「山本太郎の正体」という論考が載った。政界きっての“台風の目”こと「れいわ新選組」代表に対する批判である。気づいたのが遅く、すでに書店には翌4月号が並んでしまっているのだが、看過できない、いや、どうしても許せぬものがあるので反論しておきたい。
山本氏を批判するのは自由だ。高橋氏の場合、昨年11月、山本氏と野党統一会派に参加する馬淵澄夫元国土交通相が始めた「消費税減税研究会」の講師第1号に招かれていて、特に揉めたわけでもないのに(と筆者は聞いている)、いったい何の恨みが? と不思議な気はするけれど、自由であることに変わりはない。
ちなみに研究会には立憲民主党の石垣のり子参院議員が欠席し、「レイシズムとファシズムに加担するような人物を講師に呼ぶ研究会には参加できません」とツイートするというハプニングはあったが、これはあくまで石垣氏の発言であり、それでも仲間割れを恐れず、「財務省側の考え方を知ることが大事」だと高橋講師を受け容れたのが山本氏だった。
本題に入ろう。しかして高橋氏の論考は、「山本批判」もさることながら、近年はその山本氏が象徴的存在になった感のあるリベラル派の「消費税増税反対論」に対する罵倒であり、嘲りに他ならなかった。であれば、かねて消費税批判の急先鋒であり続けてきた筆者としても、放置しておくわけにはいかないのである。
高橋氏の論考は、『文藝春秋』2月号に掲載された山本氏の政策論文「『消費税ゼロ』で日本は甦る」の全否定から書き出されていた。山本論文はタイトル通りで、彼が昨年7月の参院選で掲げた公約を掘り下げたものだったが、高橋氏はこれにページを割いたこと自体を、〈『文藝春秋』はいつから共産党の機関誌になったのか〉と非難。内容についてもデタラメ呼ばわりした。
たとえば山本氏の〈消費税で最も苦しんでいるのは、中小零細企業です〉〈行列ができるラーメン屋ですら、消費税が払えない。これが今の日本の実態です〉という指摘を、〈完全なミスリード〉だと決めつけて、こう書いている。
消費税が払えないということは本来あり得ない。消費者から貰った消費税額から仕入れで払った分を差し引き、そのまま納付すればいいだけの話。どんぶり勘定だから、消費税が払えないという事態になるのだ。
それこそミスリードも甚だしい。高橋氏は消費税につきまとう“転嫁”の問題を、まるで実体のない妄想でもあるかのように見せかけているが、そんなことは断じてない。
中小零細の事業者が消費税を納めたくても納められないケースは、掃いて捨てるほどある。滞納を重ねて税務署に差し押さえを食い、追い詰められて自殺した人の遺族たちにも、筆者は取材してきた。関心のある読者は拙著『決定版 消費税のカラクリ』(ちくま文庫)を読まれたい。
筆者自身、いつそうなってもおかしくない自営業者のひとりだから、常に怯(おび)えている。犠牲者たちの死屍累々に向かって、“どんぶり勘定”とは無礼に過ぎよう。
消費税というのは財務省やマスコミに誘導された一般の思い込みとは大違いで、原則すべての商品・サービスのあらゆる流通段階で課税されている。納税義務者も消費者ではなく、年商1000万円超の事業者だ。その納税義務者が、「コスト+利益」に消費税分を上乗せした値決めをできるとは限らないと、「論座」でも幾度となく書いてきた。
電力や水道、鉄道などのような、政策的に事業者保護が図られる公共料金はさておき、普通の商品やサービスの価格は市場原理で決まる。つまりは同業他社との競争や、取引における力関係次第。
近くに家電量販店を建てられてしまった町の電器店や、“コストカッター”の異名を取る仕入部長を相手にさせられる町工場を想像してみてほしい。
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