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感染症対策を国家が独占する悲劇

世界が教える国家による「腐敗」

塩原俊彦 高知大学准教授

 ロシアの新聞社「ノーヴァヤ・ガゼータ」には、ユーリヤ・ラティニナという反プーチンで有名な優れたジャーナリストがいる。彼女は2020年3月に興味深い記事「人から人へうつるウイルス ロシア当局はなぜパンデミックを阻止できないのか」を公表した。そのなかで、新型コロナウイルスへの感染を調べる検査キットを自国で開発しようとする「独占」こそ、同感染症(COVID-19)対策を阻んでいることを告発している。

 ロシアの場合、ロシア国立ウイルス学・生物工学研究センター(Вектор=ヴェクトル)が検査キット開発の独占体にあたる。ソ連時代、生物兵器を開発していた機関であり、いまでも厚いベールに覆われた「超機密機関」である。このヴェクトルが中心となって自ら検査キットを開発しようとしたことが検査の遅れを招いているというのだ。

なぜCOVID-19症例が少ないのか

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 ここで、3月22日に公表された「なぜロシアはCOVID-19の症例をきわめて少なく報告しているのか」という米ABCの報道をみてみよう。

 この報道時点で、ロシアは13万3101件の検査実施に対して、陽性判定数は306件にとどまっていた。検査実施数に占める陽性の割合は0.21%で、これは0.11%のアラブ首長国連邦に次ぐ低い数値であるという。このため、このロシアの検定結果には、疑義が生まれている。ロシアの検査法は感応度が低いというのだ。その背後には、ヴェクトルによる独占で、恣意的な操作が可能という状況がある。

 3月13日付のロシア側の詳しい報道(PCR NEWS)によると、新型コロナウイルスの分析はロシア連邦を構成する州などにある連邦保健監督庁の衛生・疫学センターによって独占的に行われ、その検査キットはヴェクトルによって開発・登録された。3月13日現在、医療品登録された検査キットはヴェクトルによって開発された2種類(2月11日と2月14日に登録)と3月6日に登録された保健省の研究機関開発の1種類がある(こちらの利用は進んでいない)。

 新型コロナウイルスは自己複製(増殖)するのに必要な遺伝情報をRNAに含むウイルスなので、このRNAが体内にあるかどうかを調べればいい。PCR(ポリメラーゼ連鎖反応)は、DNAを試験管内で増殖させる方法で、問題のRNAを検出するには、RNAをDNAに転換する過程(逆転写)が必要になる。逆転写酵素によってRNAから変換されたDNAはcDNAと呼ばれ、PCRの鋳型となる。これをもとに、逆転写反応(Reverse Transcription, RT)につづいてPCRによりこのcDNPを増殖させる方法がRT-PCR法だ。

 このため、検査キットには、RNAを抽出し、そのRNAを逆転写したうえでPCRにより増殖させるという三つの過程が必要になる。ロシアの場合、ヴェクトルが開発したのは最後の工程にかかわるものだけで、ほかの工程には別のメーカーの仕組みがいる。検査キットづくりを急ぐあまり、感応度の低い出来の悪いキットが出回る結果をもたらしたようなのだ。

 3月中旬になって、モスクワ市の保健局は「メドプロムレスールス」という会社から検査キットの提供を受ける契約に調印した。緊急事態を理由に入札なしに結ばれた契約で、1億9200万ルーブル(約3億円)規模の取引になる。「メドプロムレスールス」は日本のMirai Genomics社(代表・吉良爽)とロシア人が経営する会社との合弁会社で、前者はタタールスタン当局との共同プロジェクトを展開している。

 3月19日には、ロシア直接投資基金が検査キット生産に従事する「メドプロムレスールス」に投資することも明らかになり、ほとんど知られていない会社が検査キットのビジネスに急浮上していることになる。独占の影に隠れて、不透明な事態が進んでいるように思えてならない。

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筆者

塩原俊彦

塩原俊彦(しおばら・としひこ) 高知大学准教授

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士(北海道大学)。元朝日新聞モスクワ特派員。著書に、『ロシアの軍需産業』(岩波書店)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(同)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局)、『ウクライナ・ゲート』(社会評論社)、『ウクライナ2.0』(同)、『官僚の世界史』(同)、『探求・インターネット社会』(丸善)、『ビジネス・エシックス』(講談社)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた』(ポプラ社)、『なぜ官僚は腐敗するのか』(潮出版社)、The Anti-Corruption Polices(Maruzen Planet)など多数。

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