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緊急提言!「命」とともに「いのち」を守れ/中島岳志×若松英輔×保坂展人

緊急事態宣言が出され自粛圧力が強まる今、いまいちど考えてほしいこと(上)

中島岳志 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授

 安倍晋三首相がついに緊急事態宣言を出し、日本社会は強い自粛圧力に包まれている。人々の「命」を守ることはもちろん大切だが、日常活動を制約する有形無形の同調圧力が極度に強まり、人間が自由と尊厳を保ちながら生きていくという意味での「いのち」が傷つけられたら、元も子もない。「命」と「いのち」をともに守っていくため、私たちはどうすればよいのか。
 政治学者の中島岳志・東工大教授と、批評家の若松英輔・東工大教授が、東京都世田谷区で住民目線の行政を続ける保坂展人区長にとともに解決策を探った。(論座編集部/この鼎談は3月27日夜にオンライン会議システムを使って行いました)

命とともに、「いのち」を守っていくために

中島岳志・東工大教授 世界中で新型コロナウイルスが猛威をふるい、各国が対応に追われて混乱状態にあります。

 そんな中、私が非常に感銘を受けたのが、ドイツのメルケル首相が国民に向けて行った、3月18日付けのスピーチでした。「私たちは、どの命もどの人も重要とする共同体です」と謳う、非常に優れた内容のスピーチでしたが、中でも心打たれたのが、以下の部分です。

コロナ問題で国民に向けテレビ演説するドイツのメルケル首相=ドイツ政府HPより
 普段滅多に感謝されることのない方たちにもお礼を言わせてください。このような状況下で日々スーパーのレジに座っている方、商品棚を補充している方は、現在ある中でも最も困難な仕事のひとつを担っています。同胞のために尽力し、言葉通りの意味でお店の営業を維持してくださりありがとうございます。(ブログ『コロナウイルス対策についてのメルケル独首相の演説全文』より)

 これを引用してツイッターで紹介したところ、読んだ人たちから非常に大きな反応がありました。それは単なる文章の問題ではなくて、そこから感じ取れるメルケルという人の人生観、あるいは世界観そのものが多くの人の胸に響いたということだと思います。

 保坂さんもツイッターで、このメルケルのスピーチに触れられていましたね。どのようなところに注目されたのでしょうか。

保坂展人・世田谷区長 感染症が爆発的に広がる危機的な状況においては、どうしても国家統制的な強い言葉が前面に出てきがちです。また、経済をどう立て直すか、能率や効率といったことが普段以上に数字で強調されることも多い。しかし、一番の基本にあるものはやはり「命」でなくてはならないと思うのです。

 そして、その命を私たちがつなぐことができているのは、食料を運んでくれたり売ってくれたりする人たちの力が重なってこそです。メルケル首相の演説は、そこにきちんと言及しているのがすごいと思いました。

 ひるがえって、日本の政治家の間にそうした視点がどこまであるかは疑問です。政権与党だけではなく、そのやり方を批判している野党も含めて、市民に対して「自分たちに従え」という上から目線で語っているのではないかと改めて感じました。

中島 ありがとうございます。今日は、世田谷区長として9年間の区政を積み重ねてこられた保坂さんが、この状況下で今どのようなビジョンをもち、どのような政策を展開していこうとしているのかをお聞きしていきたいのですが、そのときに一つのキーワードになるのが今おっしゃった「いのち」だと思います。

 私は、漢字の「命」とひらがなの「いのち」とを、少し違う意味で使い分けています。つまり、漢字の「命」は、身体が生きているか死んでいるかという、生命そのものの問題。この「命」が非常に重要なものであるのはいうまでもありませんが、実はそれを超えたところにもう一つ「いのち」というものがあるのではないか。それは身体の生死だけでなく、人間の自由や尊厳といったものも含み込んだ存在なのではないかと考えているのです。

 たとえば、身体は生きていても奴隷のような扱われ方をしているとすれば、その人の命は存在しているけれども、いのちは消えかかっているということになります。

 コロナウイルスの問題があり、さらには国家による統制がどんどん強まってくるであろうこの状況下では、多くの人の「命」だけではなく「いのち」が危険にさらされる恐れがあります。

 もちろん、この問題では命自体が大変な危機に置かれているわけですから、それを守ることは非常に重要かつ最優先なのですが、それだけではいけない。同時に、命の延長上にあるいのちを守るということが、特に行政の立場においては非常に重要だと思うのです。

中島岳志・東工大教授

保坂 おっしゃるとおりだと思います。たとえば、安倍首相が全国の小中学校への休校要請を出したのは、2月27日の木曜日の夜というタイミングでした。政府の言うとおり翌週明け、3月2日の月曜日から休校にして、そのまま春休みまでつなげて休みにしたとすると、翌2月28日の金曜日の1日だけでいきなり今期の学校は終わり、卒業していく小学校6年生や中学校3年生はクラスメートとも先生とも今日でお別れということになってしまう。何が何だか分からないままに、何年も過ごした校舎を出て行かなくてはならない、荷物も到底持ちきれない……。そうなることは容易に想像できました。

 そこで世田谷区では、休校期間を3月2日からの2週間としました。卒業式や終業式の前に、子どもたちが何度か学校に来て、友達や先生とやり取りができる時間を作ろうと考えたのです。

子どもたちの「いのち」と向きあう知恵が問われる

中島 たとえ感染拡大を防ぎ、命を守るために必要な措置だったとしても、そのために子どもたちのいのちが削られることになってしまっては意味がないということですよね。

 いのちの問題には、「これが正しい」と単純に線引きできないさまざまな奥行きがあるのだと思います。

 そこで難しい対応を迫られたのが、4月からの学校の始業をどうするかという問題でした。世田谷区は、一旦、1日を午前・午後に分けて1学年ずつ3日に1日程度の「分散登校」という方針を発表し、濃厚接触を極力避ける形での部分的登校を決定しましたが、区内での感染者数拡大に応じて、方針を転換し、休校延長という措置に切り替えました。

 私は、大変的確な判断だったと思います。一旦決めたことを、状況の変化に応じて転換させるのは、大変勇気がいることです。過去の自己の判断を、部分的には否定することになるわけですから。

 しかし、これを冷静にできる政治家は信用できます。逆に過去の自分の決定の「正しさ」に固執する政治家は、非常に怖い。

 ただ、子どもたちのいのちを守るという課題は残っていますね。

 どうやって命を守りながら、いのちを大切にするのか。学校が休校でも学習環境を確保し、給食がない中、健康状態を保つのか。様々な事情で、家にいることがつらい子どもが一定数いることも事実です。行政の長として、大変難しい選択を迫られています。

保坂 この点は苦悩しています。このウイルスとのたたかいが長期戦となることが確実になる中で、感染リスクを避けながら、子どもたちの「いのち」と向きあう知恵が問われますね。

若松英輔・東工大教授 私も、今回の新型コロナウイルスの問題においては、命だけではなく「いのち」のことを考えるのが非常に重要だと考えています。自分と自分の愛する人たち、そしてそこにつながる「すべてのいのち」をどう大事に守っていくか。そのことが今問われていると感じます。

 今、日本に欠落しているのは「いのち」という観点でもあるのですが、「すべてのいのち」という視座だと私は思います。「命」は単独で存在する。でも「いのち」は違います。だからこそ、そこに分断が生まれると、自分のことでなくても、私たちはそこに痛みを感じる。

 今の社会においては、残念ながら私たちは身体的な命の面では完全に平等だとはいえません。同じように病気に苦しんでいても、最先端の医療を受けられる人とそうでない人がいるという事実が、はっきりと存在しているわけです。

 でも、いのちにおいては絶対にそうであってはならない。いのちは平等だ、という事も大切なのですが、いのちが存在するから、私たちは平等でなくてならないと、心底感じるということをまず認識したいと思うのです。

 平等と尊厳は、同じことです。いのちは本当の意味で平等でなければならない、そういう認識が広がれば、いのちの尊厳は守られる。

若松英輔・東工大教授

いのちのつながりが、孤立を遠ざける

中島 すべてのいのちを大事に守っていく。そのための最前線の「現場」となるのが地域行政だと思います。先日の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の提言でも、地域ごとに異なる状況に合わせた対応の重要性や、地域の医療提供体制の検討・整備の必要性が強調されていました。

 保坂さんは今、まさにその最前線で陣頭指揮を取られているわけですが、世田谷区には他の自治体にはないアドバンテージがあるのではないかと私は思っています。なぜなら保坂区政においては、ずっと市民の主体的な参加と熟議をベースにさまざまな政策が積み上げられてきたからです。結果として、区長である保坂さんと区民、そして区と区民との間にしっかりとした関係性や信頼性ができている。これは今回の危機を乗り越える上でも、大きな力になるのではないかと思います。

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