致死率はだいぶ分かってきたが人為的に生み出される経済恐慌のコストは誰も分からない
2020年04月10日
現在、私たちが危機の時代を生きているということに同意しない人は、ほとんどいないでしょう。しかし、その危機が天から降ってきたものによるのではなくて、人間たちが自ら招き寄せているものであるということに気付いている人は、どれだけいるでしょうか。
「アフター・コロナ」=新型コロナウイルス禍以後について語るのは、まだまだ早すぎると思う人は少なくありません。実際、多くの対処策や人々の行動は、このウイルス禍がどれだけの影響を社会に残し、どれだけ続くのかが分からないまま、取られています。そして、そうした現実に自覚的であったり疑問を呈したりする人はまれです。
しかし、私はそうした状態が望ましいとは思いません。「いまは戦時だ」という、最近よく耳にする言い方にもあやういものを感じます。緊急事態宣言が発出されたいま、「アフター・コロナ」を視野に、現状について論じてみたいと思います。
「いまは戦時だ」という言葉が、専門家たちの口から積極的に出てきたのは、4月1日前後のことでしょうか。
東京の患者数が急増し、志村けんさんが亡くなり、社会の温度が一気に変わったのは春分の日の連休明けの週でした。小池百合子・東京都知事が「ロックダウン」という聞き慣れない海外発の用語を用いて、法治国家の日本では取りえないはずの措置がこの先に待ち受けているかもしれないと示唆します。続いて夜20時にセットされた都知事会見では、何か強い措置が発令されるという観測が出回り、会見が始まってもいないうちに、東京のスーパーの棚から生鮮食品や保存食が消えました。
3月末には、年度をまたいてすぐ政府の緊急事態宣言とロックダウン措置が取られるというフェイクニュースのチェーンメールが出回ります。どれも、「戦時」に直面しているという認識に基づいた集団心理に他なりません。
これに対し、4月7日発令された緊急事態宣言は、比較的穏やかな雰囲気の中で行われました。唐突な一斉休校措置による失敗から学び、経済対策が出揃うのを待ってから宣言するなど、政府にも試行錯誤の跡が窺(うかが)われます。日本が今回おこなっている措置は、移動制限でもロックダウンでもなく、自粛強化を「補償」とは呼ばない「支援金」で乗り越えようとするものです。
とすれば、なるべく時間的猶予を与えて予測させ、そのうえで発令するという段取りが最もパニックを呼ばないものです。
この際、小池都知事がなぜ、法治国家を前提とすれば不可能なはずのロックダウンに政治家として言及してしまったのかは措いておきましょう。
専門家が出してきたメモにはロックダウンの文字が躍っており、海外のニュースにはロックダウンの模様が報じられていた。感染症の専門家は法律や社会や政治の専門家ではなく、経済の専門家でもない。彼らは彼らの専門知識で正しいとされた処方箋や予測を書き込んだにすぎず、都知事は慌ててその前提を受け入れたにすぎません。間違えたのであれば、軌道修正すればよい。
しかし、その根っこにある感覚としての、「いまは戦時である」という認識がもたらすものは、もっと複雑な政治社会的論点を含んでいます。
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