世界的な感染症流行のなか直面したもう一つの国家危機を日本はどう乗り越えたのか
2020年04月11日
新型コロナウイルスの脅威は、次第に国家体制の中枢にも忍び寄り始めた。
イギリスのボリス・ジョンソン首相は感染防止担当の保健相と時を同じくして罹患(りかん)し、集中治療室に入った。ドイツのメルケル首相も、検査で陰性が確認されたとはいえ、2週間の自宅隔離を余儀なくされた。
日本でも安倍晋三首相と麻生太郎副総理兼財務相は同時感染を避けるため、会合で同席しないよう申し合わせた。安倍首相が不測の事態に陥った場合は、麻生副総理が臨時代理を担うことも、改めて国会答弁で確認された。
危機の際、過酷な状況下で適切な判断を迅速に出さねばならないトップリーダーにはまず、それを支える身体と精神の安定が必要なことは言うまでもない。
ほぼ100年前、世界中で猛威を振るったスペイン風邪は、第1次世界大戦の休戦を早めたとされる一方で、パリ講和会議では米英仏3国の首脳がそろって発症した。彼らの政治決断や交渉に影響を与えて、結果的にドイツに対する天文学的な数字の懲罰的賠償につながった可能性さえ指摘されている。
ふと思い出した。確か、当時の日本の原敬首相もスペイン風邪に罹ったのではなかったか。憲政史上初めて本格的に政党が主導する内閣を誕生させ、「平民宰相」と評判をとった頃の話である。
記憶を確かめるため、緊急事態宣言が出る前の人影もまばらな図書館へ行き、当時の「原敬日記」を読み始めたところ、案外とすぐに確認が出来た。
やはり、早々と罹患していた。しかも、1918(大正7)年9月29日の政権発足から1カ月もたたぬうちの発病である。
10月の記述にはこうある。
二十六日 午後三時の汽車にて腰越別荘に赴く。昨夜北里研究所社団法人となれる祝宴に招かれ其席にて風邪にかかり、夜に入り熱度三十八度五分に上る。
二十九日 午前腰越から帰京、風邪は近来各地に伝播せし流行感冒(俗に西班牙風と云ふ)なりしが、二日間斗りに下熱し、昨夜は全く平熱となりたれば今朝帰京せしなり。
29日の記述によれば、原首相は上京後に官邸で閣議を開き、米国から第1次世界大戦の休戦問題について交渉があったため、英仏駐在の日本大使に臨機出席を命じるなど、外交判断を下している。
ただ、翌30日には、米籾輸入税中止の緊急勅令などを巡り枢密院の会議があったものの、「余流行感冒後一週間を経ざる付御前に出づることを遠慮して出席せず」とある。原も大正天皇との同席は避けたのだった。
だが、政権発足直前の日記をたどると、原はもう一つの深刻な国家危機の後処理に直面していたことが分かる。
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