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新型コロナ、国家指導者の政治哲学によって人々の生死が左右される

パンデミックのジレンマと公共善――経済やオリンピックか、生命や生活か

小林正弥 千葉大学大学院社会科学研究院教授(政治学)

公共善の重要性を再認識すべき時

 前稿で紹介した政治哲学の仮想の議論からもわかるように、新型コロナウイルスの問題に対処するためには、コミュニタリアニズムの議論がもっとも適切だと筆者は考える。その最大の理由は、これは人々の健康という「公共善」の問題であり、これをもっとも正面から扱っているのがこの思想だからだ。

 ウイルスの流行は「公衆衛生」の問題であり、「公衆衛生(public health)」は直訳すれば「公共的健康」である。功利主義やリバタリアニズムには公共性の問題意識が弱く、リベラリズムも公共性を権利から考えようとする。これらではコロナウイルスのような深刻な問題を十分に扱うことは難しいのである。

 コロナウイルスにより入院者が激増した諸国では、医療設備や人員が不足し、日本もそうなりつつある。健康は最大の公共善の一つだから、公共性の観点からすれば十分な医療設備・人員を平時から整えておくことは必要不可欠だが、リバタリアニズムの潮流は公的医療を縮小させてきた。今回はその問題が露呈している。

 もっとも、リベラリズムの論理でも、生命や生活の権利を根拠に政府からの補償や最低限の現金給付を正当化できるかもしれない。ベーシック・インカムと同様の発想だ。そもそも、開催を強行した格闘技「K-1」の事例をはじめとして国や知事がイベントや集会の自粛を要請するのは、多数の人々の健康や生命を守るためだが、補償なしに主催者が中止を迫られるのでは、少数とはいえ犠牲者が生まれてしまう。それを救うためには、生命や生活のための給付を権利論として認める必要がある。

休業するなかで営業を継続する店もあった=2020年4月11日午後2時21分、東京都北区拡大自主的に休業する店もあれば営業を継続する店も=2020年4月11日、東京都北区赤羽で

 リベラリズムの論理では、自分の具体的な状況を知らずにルールを決めたと仮定して、あとで弱者の立場であることがわかっても後悔しないようなルールが公平で正義に即しているとする。国民全員の健康や生命を守るためにイベントの中止や営業休止を要請するのであれば、それによって主催者・出演者や自営業者・勤労者など一部の人々が特に金銭的被害を受けるのは不公平だ。よって、自分がそのような立場であっても同意できるように、自粛を要請された人々には金銭的補償を行う必要があると考えるのである。

 実際、立憲民主党の枝野幸男代表は国会の議院運営委員会で、緊急事態宣言を遅きに失したと批判しつつも評価し、即時一律の現金給付と減収の補填を主張し、憲法25条の「健康で文化的な最低限度の生活」を営む権利(生存権)をその根拠として挙げた(4月7日)。これは、政治的・道徳的議論としては明快で、リベラリズムの論理に整合的だ。

 ただ、金銭的補償を求めて訴訟で争った場合、これを法的な権利として法廷が認めるとは限らない。より明快なのは、コミュニタリアニズムの論理だろう。国民全員のために一部の人々が犠牲になっているのだから、その同胞市民を助けることが必要だ。それこそ政府の役割だ。よって、公共的健康という公共善のために補償や給付を行うことこそ正義と考えられるのである。

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筆者

小林正弥

小林正弥(こばやし・まさや) 千葉大学大学院社会科学研究院教授(政治学)

1963年生まれ。東京大学法学部卒業。2006年より千葉大学大学院人文社会科学研究科教授。千葉大学公共研究センター共同代表(公共哲学センター長、地球環境福祉研究センター長)。専門は、政治哲学、公共哲学、比較政治。マイケル・サンデル教授と交流が深く、「ハーバード白熱教室」では解説も務める。著書に『対話型講義 原発と正義』(光文社新書)、『日本版白熱教室 サンデルにならって正義を考えよう(文春新書)、『サンデル教授の対話術』(サンデル氏と共著、NHK出版)、『サンデルの政治哲学 〈正義〉とは何か』(平凡社新書)、『友愛革命は可能か――公共哲学から考える』(平凡社新書)、『人生も仕事も変える「対話力」――日本人に闘うディベートはいらない』(講談社+α新書)、『神社と政治』(角川新書)など多数。共訳書に『ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業』(ハヤカワ文庫)など。

 

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