「今のところ最も首相に近かった日本女性」のこれまでとこれから
2020年04月17日
新型コロナウイルスの席捲による危機の中、小池百合子都知事の存在感が増している。東京都知事選の再選はほぼ間違いなしとみられる中、女性初の総理大臣も視野に入ってきた。
「小池百合子」という政治家はいかにして生まれたのか。小池を含む日本の女性議員がいかに誕生し、いかに消えていったのかも含めて、検証していこう。
1995年6月13日、当時野党の新進党に属していた小池百合子は、衆議院の「戦後50年決議」に関して、与党の自民・社民・さきがけ連立政権の案に反対した。決議は全会一致が通例だが、左派はアジアへの謝罪が足りないとし、新進党を含む右派や自民党の一部は正しい戦争であって謝る必要はないとした。欠席者の多い中で、賛成者は在籍者の半分に満たなかったが、9日に可決されていた。
この決議に関して、衆議院議長の土井たか子の議事運営が間違っていると、野党は議長不信任決議を出した。討論した1人は小池である。
小池は、「議会制民主政治の最低限のルールを守り円滑な議会運営を心がける、そしてまた、与党の数を頼んだ横暴には断固たる態度で臨む、それが議長としての本来の役割ではありませんか。今回の暴挙には、憲法学者として我が母校の教壇に立たれたこともある議長の見識を疑わざるを得ないのであります。兵庫の誇り、女性の誇りである土井議長の今回の行為には失望せざるを得ないのであります。土井議長の目指しておられる国会改革とは、強行採決を進めることなんでしょうか」と述べた。もちろん賛成少数で、不信任案は否決されるのだが。
小池はカイロ大学に学んだことで知られているが、高校卒業後まず進学したのは関西学院大学であり、半年で退学してエジプトへ飛んだ。土井はもちろん同志社の出身であるが、時代も学部も違うものの、関西学院大学で憲法学の非常勤講師をしていた。また、1993年の旧中選挙区制最後の衆議院議員総選挙では、1992年から日本新党の参議院議員となっていた小池が、土井と同じ旧兵庫2区から立候補して、ともに当選したのである。そして、母校・兵庫というキーワードに加え、同じ女性として今回の土井の態度は許せないとしている。
小池が1992年に、テレビ東京の『ワールド・ビジネス・サテライト』のキャスターを辞めて日本新党の候補となった時期は、すでに1989年の土井を中心としたマドンナ・ブームは去っていた。しかしそれまで衆議院で7~8人、参議院でも10数人であった女性国会議員を増やし、政治のアクターとして注目させたのは土井の手柄である。小池の立候補も、この流れがあったからうまくいった面がある。関西学院大学・兵庫2区、そして女性政治家として、土井は小池の先輩なのである。
小池はキャスター出身であり、タレント議員の流れの中にもいる。日本の女性タレント議員第1号は、1962年選出の藤原あきである。
藤原は旧姓を中上川というが、16歳の時に強制結婚させられた。それがテノール歌手藤原義江と恋に落ち、1928年に夫と離婚してイタリアに住んだ(「世紀の恋」と言われたが戦後離婚した)。1955年にNHKの人気番組『私の秘密』のレギュラー出演者となった。自民党がこの人気に目をつけ、1962年の参院選の全国区に擁立し、116万票の大量得票でトップ当選した。ただ任期を全うせず、1967年に69歳で没している。同じ時にやはりタレントと言われた随筆家森田たまも当選しているが、1期で辞めており、もし藤原が長命であったとしても、政治家を続けたかどうかはわからない。
1968年の参議院選挙は、東京オリンピックの女子バレーボール監督であった大松博文、作家の石原慎太郎、NHKの上田哲、マルチタレントの青島幸男らが立候補し、タレント選挙となった。
1971年にはNHKの「歌のおばさん」安西愛子が立候補、1974年には子役出身でクイズ番組名物の山東昭子と、戦前からの女優でワイドショー『3時のあなた』の司会の山口淑子、1977年には宝塚出身でやはり『3時のあなた』の司会、歌舞伎の中村扇雀の妻の扇千景が参議院議員となっている。
男性タレントは、おそらくアナウンサーの宮田輝や青木圭三を除いて、自分から政界に飛び込んでいるところが見えるが、藤原・安西・山東・扇は、自民党のトップに乞われて立候補している。
女性議員の政治生命は短い傾向があり、かつて「花の命は短くて」(藤原弘達)などと揶揄されたが、安西・山東・山口・扇は政治生命が長い。自民党に女性衆議院議員がいなかった1980~1992年、彼女たちは自民党の女性議員として存在を示した。
短命な女性議員もいるが、こうしてみると政界の荒波を乗り切っている女性タレント議員の先輩がいることに気がつく。ただし小池は、より権力に近い衆議院議員であった。
小池が日本新党、新進党、自由党、保守党、自由民主党と5回所属政党を替えていることがよく批判されるが、扇のパターンを見ると、1992~93年に「新党」に属し、小沢一郎に従って新進党・自由党と移り、自由党の連立離脱の際に保守党を作って自民党との連立に残留、後に自民党に吸収されるということで、同じパターンである。扇が参議院議長になるにあたって、この経歴は邪魔をしなかった。
小池は、女性政治家の多くが誰かから頼まれて立候補しているのに、自分が主体的に決めている。細川護煕日本新党代表に「誰かいい人はいませんかねえ」と頼まれて、誰に勧めても海の物とも山の物ともつかない新党から立候補しようとしなかったので、自分で飛び込んだのである。「細川から頼まれた」というより、自分で手を上げたと解釈していいと思う。その後の政党を替わる際にも、自分の判断が大きいであろう。
小池は日本新党では、候補者の割り振りを担当した。1993年に発足した細川内閣では総務政務次官を経験したが、その後の羽田内閣では交替している。1994年末には、新進党の派手な結党式をプロデュースしている。1999年の小渕第2次改造内閣から第1次森内閣にかけては経済企画政務次官であった。この間に自由党から保守党に移行している。こうした経験が、「新党は3日で作れる」という、人のつながり作りや政策作りを軽視する見方につながっている。
その後、自民党に入党したのは2002年末である。外から変えたいと思っていたものが、内から変えようという小泉純一郎首相のリーダーシップに引っ張られて入党したと言っている。
小泉首相は、2002年1月末に田中真紀子外相を更迭して人気を大きく落とした。9月の北朝鮮訪問で回復したものの、女性大臣で何とか挽回しようというつもりがあったのか、2003年9月に小池を環境相で入閣させた。
ただ、当時小池は女性に好かれるタイプではなかったし、また女性政策を推進してもいなかった。そもそも小池がアラブに興味を持ったのは石油資源問題からで、環境問題やエコロジーには関心はなかった。ただ、エネルギー問題を中心に考えてきたことを逆転させればいいと思ったのである。環境を左右するような政策や、途中で兼務するようになった沖縄北方相としても政策的に大きな物は残してはいないが、2005年6月からキャンペーンを張った「クールビズ」では成功している。
その夏、郵政民営化問題を争点に、小泉首相は急な衆議院解散を行った。小池の選挙区は新兵庫6区だったが、前の選挙においてコスタリカ方式で比例区に回って当選しており、足下が不安定であった。また、環境相では地元へ還元できる物がない。こうした不安から、テレビに映りやすい東京の選挙区で、現職が郵政反対派で、自分が郵政民営化派として勝てる選挙区を探したのである。
郵政選挙では、小泉首相を始め郵政民営化推進派はカラーシャツなどの「クールビズ」、民営化反対派はダークスーツで闘っており、「クールビズ」は選挙のアイコンとしても活躍した。無事当選後、小池は環境相に留任したが、外相を狙っていて内心は不満だとの報道がなされた。
小池は、細川護煕、小沢一郎、小泉純一郎と、権力のある男性のそばに寄り添ってきたと言われるが、ポスト小泉では寄る大木がなくなった。それでも第1次安倍内閣では、舌禍で辞任した大臣の跡を受けて防衛相に任命された。小池はもともと国防意識が強く、社会党の非武装中立路線などを「平和ぼけ」として嫌っていた。女性だが、防衛の任に着くことにためらいはなかった。しかし、防衛事務次官と人事上の争いが泥沼化し、わずか55日で防衛省を去った。このとき「アイ・シャル・リターン」と言っている。小池は、どこへ帰るつもりだったのであろうか。
2008年福田康夫首相の急な辞任に伴って行われることになった自民党総裁選挙に、小池は立候補した。もっと前からトライするといっている野田聖子がなかなか20人必要な推薦議員を集められないのに対して、鮮やかな手並みだろう。しかし、小泉改革継承派として反対派と対決しようとした図式は、立候補者が多すぎて崩れてしまい、第3位に終わった。この選挙に立候補したことで、1989年に参議院で首相指名を受けた土井たか子(衆議院の指名の海部俊樹に「衆議院の優越」ゆえに負けることになるが)と並んで、今のところ最も首相に近かった日本女性ということになるのである。
2009年、自民党が野党になると、党内の「女性が暮らしやすい国はみんなにとっていい国だ委員会」の委員長になった。女性政策に前向きになったのである。
もっとも、その成果をまとめた『女性が活きる成長戦略のヒント20/30プロジェクト』は自民党女性議員(全員ではない)のそれぞれの女性政策と思われるものの羅列であり、女性を積極登用しようというクオータ賛成派も反対派もいて、強いリーダーシップによって方向性を打ち出したものではない。
しかし、女性差別撤廃とか人権とかでなく、女性の活躍が日本経済にとって必要だというコンセプトを示し、これは政権に復帰する安倍内閣に引き継がれることになる。しかし小池は2012年の自民党総裁選挙で石破茂の支持に回り、勝利した安倍には嫌われることになった。
自民党内で、もう出る目はない。小池はすっぱりと方向を変えた。2016年の東京都知事選挙に出たのである。自民党都連が候補者選びに手間取っている間に、さっさと名乗りを上げた。都連をブラックボックス、おっさん政治だと批判した。若い頃と違って、女性に敵意を持たれないキャラクターになっていた。
土井が率いたマドンナ・ブームでは、女性差別を何とかしなければといって女性候補が立ったものだった。現在でも日本の男女平等指数は世界のどん尻であり、構造的差別はなくなっていない。しかし首相が軽やかに「女性活躍」をいう時代である。均等な条件で競争できるのではないか。そしてがんばった女性は成功できるのではないか。そうした新しい空気が生まれていた。小池はそれに乗ったのである。
自民党の候補は官僚上がりだった。野党共闘候補は大変な難産の末、生まれるとすぐに女性に性的攻撃をしたというスキャンダル報道に見舞われた。小池は環境相のイメージを売り、有権者に何か緑の物を持って集まってほしいと言い、中年の女性たちが野菜を手に駆けつけた。自民党側では石原慎太郎元知事による「年増の厚化粧」発言が出て、女性有権者を敵に回した。小池は1993年の新党ブームや、2005年の郵政選挙時のブームを再体験したのである。さらに都議会議員選挙でも、公明党が自民党から離れて小池の都民ファースト側に回り、勝利した。
2017年9月、安倍首相は、野党の民進党がもたつくのを見て急な解散に出た。小池はその空気を読んでおり、同じ日に早い時間に記者会見して、自分が国政政党を作って選挙に打って出ることを宣言した。人気は小池にあったが、組織と資金がなかった。それを、政党交付金を貯め込んでいた民進党から得ようとしたのである。
小池と前原誠司民進党代表の会談が行われた。民進党の候補は、小池の希望の党から出ることになったと言われた。安倍首相は、一度はしまったと思ったはずである。小池の党は広く無党派を呼び込んで、勝利するのではないかと思われた。
ところが小池は、全ての候補を受け入れるのではなく「排除する」、選択すると言った。彼女の憲法・防衛政策は旧社会党出身者とはかなり違っていた。安倍政権の元で成立した安保法案を支持しない者は、受け入れないと言ったのである。そのとたん、正義のヒロイン、ジャンヌ・ダルクは上から物を言う権力者のイメージとなり、ヒール役が回ってきた。その政策を支持できない者から立憲民主党が立ち上がり、こちらが判官贔屓を受けるサイドに回った。
また、小池の党は、首相候補を用意できなかった。希望の党が優勢なら、小池が都政を捨てて衆議院議員候補者となり、首相候補になる可能性もあったかもしれない。しかし、希望の党は多くの候補を討ち死にさせ、都政を捨てることへの批判からも逃れることができなかった。これで小池の挑戦は終わったかに思われた。2020年の知事再選も危ぶまれていたのである。
しかし、2020年3月、自民党都連は「勝てる候補」を他に見出すことができず、小池とは保守党時代に親しかった二階俊博が自民党の幹事長で、知事候補は小池で行くと言った。折から、新型コロナウイルスが猛威を振るい出し、オリンピック・パラリンピックは1年延期された。本来なら五輪延期は都知事にとってはダメージであるはずだ。
しかし小池は、毎日テレビやネットの記者会見でコロナ対策を話し、「見える存在」にカムバックした。キャスターの出身であり、首相よりずっとカメラあしらいがうまい。安倍首相は押され気味だ。国のコロナ政策は「緩い」と批判されている。都知事として休業要請などきつめの球を投げ、国との交渉過程も報道させる。都は予算が潤沢なため、国より補償を厚くして、休業要請ができる。小池は会見を通じて選挙運動をしているようなものだ。そして、注目が集まってこそ小池なのである。
コロナウイルスがとんでもないことにならない限り、7月の都知事選は小池の望むところとなるのではないか。オリンピック・パラリンピックが果たして1年延期ですむのか今はわからないが、責任は安倍政権にありとされるのではないか。
危機に際してはトップリーダーの支持率が高まるものだという。しかし、森友事件で自殺した官僚の手記が報道されるなど、アゲンストの風も吹いている。史上最長の安倍政権に対して飽きがきても、替わりがなければ変えようがない。小池は露出を増やし、もし東京都のきつめの対策が功を奏するなら、「替わり」として意識される。パンデミックから駒が出るかも知れない。この文章は、日本一強運な女性の話になるかもしれないのである。
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