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アイ・シャル・リターン 再び「目に見える」存在となった小池都知事

「今のところ最も首相に近かった日本女性」のこれまでとこれから

岩本美砂子 三重大学人文学部教授

 新型コロナウイルスの席捲による危機の中、小池百合子都知事の存在感が増している。東京都知事選の再選はほぼ間違いなしとみられる中、女性初の総理大臣も視野に入ってきた。

 「小池百合子」という政治家はいかにして生まれたのか。小池を含む日本の女性議員がいかに誕生し、いかに消えていったのかも含めて、検証していこう。

拡大東京都議会議員選挙での大量当選に喜ぶ日本新党の細川護煕代表(中央)と小池百合子・選対本部長(右)。左は新党さきがけの武村正義代表=1993年6月27日 、 東京都港区

土井たか子と小池百合子

 1995年6月13日、当時野党の新進党に属していた小池百合子は、衆議院の「戦後50年決議」に関して、与党の自民・社民・さきがけ連立政権の案に反対した。決議は全会一致が通例だが、左派はアジアへの謝罪が足りないとし、新進党を含む右派や自民党の一部は正しい戦争であって謝る必要はないとした。欠席者の多い中で、賛成者は在籍者の半分に満たなかったが、9日に可決されていた。

 この決議に関して、衆議院議長の土井たか子の議事運営が間違っていると、野党は議長不信任決議を出した。討論した1人は小池である。

 小池は、「議会制民主政治の最低限のルールを守り円滑な議会運営を心がける、そしてまた、与党の数を頼んだ横暴には断固たる態度で臨む、それが議長としての本来の役割ではありませんか。今回の暴挙には、憲法学者として我が母校の教壇に立たれたこともある議長の見識を疑わざるを得ないのであります。兵庫の誇り、女性の誇りである土井議長の今回の行為には失望せざるを得ないのであります。土井議長の目指しておられる国会改革とは、強行採決を進めることなんでしょうか」と述べた。もちろん賛成少数で、不信任案は否決されるのだが。

 小池はカイロ大学に学んだことで知られているが、高校卒業後まず進学したのは関西学院大学であり、半年で退学してエジプトへ飛んだ。土井はもちろん同志社の出身であるが、時代も学部も違うものの、関西学院大学で憲法学の非常勤講師をしていた。また、1993年の旧中選挙区制最後の衆議院議員総選挙では、1992年から日本新党の参議院議員となっていた小池が、土井と同じ旧兵庫2区から立候補して、ともに当選したのである。そして、母校・兵庫というキーワードに加え、同じ女性として今回の土井の態度は許せないとしている。

 小池が1992年に、テレビ東京の『ワールド・ビジネス・サテライト』のキャスターを辞めて日本新党の候補となった時期は、すでに1989年の土井を中心としたマドンナ・ブームは去っていた。しかしそれまで衆議院で7~8人、参議院でも10数人であった女性国会議員を増やし、政治のアクターとして注目させたのは土井の手柄である。小池の立候補も、この流れがあったからうまくいった面がある。関西学院大学・兵庫2区、そして女性政治家として、土井は小池の先輩なのである。

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筆者

岩本美砂子

岩本美砂子(いわもと・みさこ) 三重大学人文学部教授

1957年生まれ。京都大学法学部卒業、名古屋大学大学院法学研究科単位取得退学。名古屋大学法学部助手などを経て現職。 専攻は政治学、ジェンダー。主な論文に「女のいない政治過程」(1997年、『女性学』vol.5)、「日本のジェンダーを巡る政策過程の特徴について:立法・行政・司法」(2013年『国際ジェンダー学会誌』11号)、監訳書にT.ノーグレン著『中絶と避妊の政治学』(2008年、青木書店)。