【1】ナショナリズム ドイツとは何か/プロローグ 民主主義を陶冶する
2020年05月21日
ドイツのナショナリズムを考える旅を始めたい。
これは、同じように書き出した昨年の「論座」での連載「ナショナリズム 日本とは何か」の続編だ。
ナショナリズムと聞くと身構えられるかもしれないが、必ずしも排外的なものではない。近代以降の国家において、国民がまとまろうとする気持ちや動き、ぐらいに考えていただければありがたい。
私が昨年に「日本とは何か」を追ったきっかけは、天皇譲位だった。近代国家としての日本で初の生前の譲位が平成の天皇陛下(今の上皇陛下)の発意から実現したこと、そして、その天皇は戦後憲法で「国民統合の象徴」とされてきた存在であることを、重く受け止めた。
平成の天皇陛下は戦没者の慰霊や被災者の慰問に努めた。そして、そうした「象徴の務め」が老いによって果たせなくなる懸念から譲位を望んだ。継がれるべき「象徴」としてのあり方はこれでいいのかという、国民への提起だった。
私はそれを「日本とは何か」の連載で考えようと、近現代史を画す出来事のあったいくつかの場所を訪ねた。見えてきたのは明治から今日まで続く、近代国家としての日本の理念の模索だった。
19世紀後半に近代国家として歩み始め、敗戦で国民が主権を手にした日本において、国民は何を目指してまとまろうとしてきたのか。つまり日本のナショナリズムとは何かは、なおあいまいだった。
平成の天皇陛下が譲位に込めた提起も、晴れやかな、あるいは古式ゆかしい一連のイベントに注目が集まる中で、かすんでしまった。
その「解」へたどり着けないかと、今度はドイツ各地を取材して回ったのだった。ドイツでは新型コロナウイルスの感染拡大で3月から移動が大幅に制限されたが、幸いその少し前だった。
なぜドイツなのか?
近代国家としての日本との縁は、明治憲法にドイツ帝国(1871~1918)の憲法が影響を与え、第2次大戦では同盟を組んで米英と戦うなど深い。
だが、なによりも、1945年の敗戦を経た国家の再建という共通点だった。国民が何を目指し、まとまろうとしてきたのか、そして今どんな課題に直面しているのか。ナショナリズムをめぐるそうした問題意識を共有できる人々が、ドイツにいるはずだと考えたのだ。
2月9日から20日にかけてのドイツの旅は、そのほとんどが曇天で冷えた空の下ながら、とても有意義だった。連載を始める前に、最近の二つのドイツ国民への訴えを紹介したい。いずれも2005年以来の長期政権を担うメルケル首相によるものだ。
それは今回ドイツで出会った人々の言葉と重なり合い、ナショナリズムについて深く考えさせられた。その旅にこれからおつきあいいただく読者の皆さんに、きっと参考になるだろう。
ひとつ目は首相声明として、私がフランクフルト国際空港から帰国する2月20日に出た。前日、その近郊ハーナウで移民のルーツを持つ9人が射殺されていた。
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