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中国の新型コロナ、初期対応〝失敗〟の検証

つまずいた習政権、混乱を嫌ったことが裏目に

村上太輝夫 朝日新聞オピニオン編集部 解説面編集長

李文亮医師の発信、そして死

 「情報隠し」という印象を持たれているのは李文亮事件のためだろう。

拡大2月7日に亡くなった李文亮医師の写真に「送別」と書かれた人民日報のSNSの投稿

 武漢市中心病院の眼科医、李文亮医師がソーシャルメディア上でウイルスに関する情報を発信し、それが警察によって処罰された事件は、中国の政治体制のおかしさを象徴する言論封殺として受け止められた。李医師自身も新型コロナウイルスに感染し、「声は一つであってはならない」という重い言葉を遺して亡くなっている。

拡大李文亮医師が亡くなった2月7日、北京市内の河川敷の雪上に「さようなら李文亮」との文字が書かれた=2020年2月7日、北京市、平井良和撮影

 「財新」の記事も、ウイルスを調べた関係者に対して国家衛生健康委や湖北省衛生健康委から、情報を外に出さないこと、検査サンプルを破棄することを求められた、と伝える。とはいえ、こうした統制は、情報が北京に届いていなかったことを意味するものではない。むしろ北京が情報を管理していたとみるべきだ。情報が市民の間に広がるのを阻んでいたという意味での情報隠しだ。(1月3日には中国から米国へ最初の感染症情報が伝えられた)

 その後、新型コロナウイルスがニュースとして表に出たのは、ようやく1月9日になってからだった。そして、習氏自身による感染症対策の指示が表に出たのは、さらに日が過ぎて1月20日だ。

 これは遅きに失した。春節(旧正月、1月24日)前後の休暇を前に、市民の大規模な国内外への移動が始まっていたからだ。この間に習氏はミャンマー訪問、雲南省視察という日程をこなしているが、このことと対応の遅れがどう関係しているかは不明だ。

 2月15日になってから共産党理論誌「求是」のウェブサイトで発表された習氏の署名論文は「1月7日の党常務委員会で感染症対策について要求を出した」とわざわざ触れている。1月20日まで何もしなかったわけではないことを示そうとしたのだろうか。

 これに対して香港紙「明報」(2月17日付)が異なる情報を突き付けている。

 中国疾病対策センターの高福副主任が1月6日、対策に一歩踏み出すよう求めたが、7日の党常務委員会では「用心しなくてはならないが、そのことで恐慌を来し、春節の雰囲気に影響させてはならない」と指示が出たのだという。

 この時点の習政権は、武漢の異常を察知していたはずだ。

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筆者

村上太輝夫

村上太輝夫(むらかみ・たきお) 朝日新聞オピニオン編集部 解説面編集長

1989年朝日新聞社入社。経済部、中国総局(北京)、国際報道部次長、台北支局長、論説委員などを経て現職。共立女子大学非常勤講師、日中関係学会理事。共著に『台湾を知る60章』(明石書店)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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