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「AI倫理」を問う(下):人間中心主義からの脱却 

利便性や経済性だけを優先する判断基準をAI倫理に適用するのは間違いだ

塩原俊彦 高知大学准教授

 前回(「「AI倫理」を問う (上)」)、「そこに「政治」が絡まりやすいことを「心ある」米国の研究者はよく認識して、「再現不可能性」を問題視するようになった」と書いた。統計に基づいてつくられるAIは再現不可能性をもつ「気高い嘘」にあたるのではないか、という批判が「心ある科学者」自身によってなされている点に注意しなければならない。

 「心ある」としたのはまったくの皮肉である。彼らは自らを「真の科学者」という特権的立場に置いたうえで、AIの再現不可能性を批判することでその特権をあくまで維持しようとしていることに気づかなければならない。

 AIの再現不可能性を説く科学者もまた、キングの椅子をねらっていることに変わりはない。ここにあるのは、自分たちの形式だけを維持し、複数ありうる別の形式を排除し、自らだけの形式に固執する姿だ。それは、同じ動物でありながら人間だけを特別とみなす「人間中心主義」と同じように、同じ科学者でありながら再現可能性に依拠できる科学者を「真の科学者」として特別視しているだけの話だ。

 人間を理性的存在として特権化する考え方を「人類中心主義」、生物としての人間がもつ価値を志向する考え方を「人間中心主義」と分けることも可能だが、煩雑になるのでここでは後者の立場を「生態系(エコシステム)中心主義」と呼ぶことにする。

 ここで、「科学」(science)という言葉(英語のscienceの前形は知識を意味するラテン語のscientia)がもともとart(技芸)と相互に入れ替え可能であったことを思い出そう(レイモンド・ウィリアムズ著『完訳キーワード辞典』)。

 18世紀になって「経験」がもっていた実際的・習慣的な知識と、実験によって繰り返されるような外的な知識との区別が明確化されるようになるにつれて、「自然」に対する見方も変化し、自然の理論的・系統的な研究をさす意味が科学にあたえられたにすぎない。その後、科学に従事する科学者は人間中心主義が絶頂を迎える近代化以降、特権化してきたのである。だからこそ、彼らは気高い嘘を吐き続けている。

AI倫理を支える人間中心主義

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 筆者のみるところ、AI倫理を議論する者の多くは、この人間中心主義の呪縛に陥っている。AI倫理の基準を人間の側に置き、あくまでAI倫理を人間の倫理観に合わせて構築すべきであると主張する。ここにあるのは、近代化以降、人間が世界中に広げた思考形式を支えてきた人間中心主義だ。

 その恩恵を受けている科学者(倫理にかかわる人文科学者を含む)の多くは自分の立脚する人間中心主義を批判できずにいる。いや、むしろ人間中心主義を擁護し、それが主権国家を中心とする19世紀以降の政治や権力闘争を肯定している。

 その結果として、2019年5月、経済協力開発機構(OECD)閣僚理事会が採択した「AIに関する理事会勧告」にしても、そこで提唱されている「AI原則」では、AIが人々の福祉・幸福の改善のための潜在力をもつものと認知されており、法の支配、人権、民主的価値、多様性を尊重する設計が求められている。主権国家を最優先する価値観に貫かれているのだ。この勧告に基づいて、2019年6月に結ばれたG20貿易・デジタルエコノミー担当閣僚声明でも「AIへの人間中心のアプローチにコミットする」ことが確認された。これは、G20 AI Principlesの「人間中心」を反映したものだ。

 EU委員会は、2018年4月にEUのAI戦略として「ヨーロッパのためのAI」を採択し、同年12月、ヨーロッパにおけるAIの発展や利用を推進するために「AIに関する調整計画」を提案した。2020年2月には、2020年末までにこの提案の修正版を改めて提案するために、「AI白書:ヨーロッパの卓越と信頼へのアプローチ」が公表されるに至っている。

 日本では2019年8月、総務省情報通信政策研究所が中心となってAIネットワーク化をめぐる社会的・経済的・倫理的・法的な課題について検討した結果として報告書を公表し、そのなかで、「AI利活用ガイドライン」が打ち出さられた。ここでも、人間中心主義に支えられた国家優先の価値観から脱していない。

AIによる人間中心主義の徹底化

 実は、AIこそ人間中心主義を徹底化しつつあることに気づかなければならない。ゆえに、AI倫理を考えるのであれば、人間中心主義を脱却した立場から論じなければならないのではないか。

 最近のAIの成功は、コンピューターに大量のデータを覚え込ませて、ある目的のためにより有効な結果をもたらす手段を高い確率で選び出すという統計処理に起因している。囲碁のようなルールが比較的明確な場では、AIに

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