動物に「法的人格」を認める動きが続々
2020年04月28日
「AI倫理を問う(上)(下)」での考察を通じて、AI倫理を人間中心主義に毒されたまま説こうする国家や国際機関主導のAI倫理議論を批判した。AI倫理を考えるのであれば、AIのもつ技術体系にそって議論すべきであり、人間が近代化以降につくりあげてきた主権国家や法の支配といった価値観にAIを無理やり適合させるようにAI倫理を構築しようとする試みは認められない。
拙著『サイバー空間における覇権争奪』(社会評論社, 2018年)の終章の注(18)において、あえて長大な注釈を書いたことがある。自然、神、人間の関係が哲学的にどう位置づけられてきたかを論じたのである。ここではその内容を紹介することは控えるが、最後の部分だけ紹介しておこう。
「ここまでの説明を何となくわかってもらうには、「動物」と「人間」の関係を考えればいい。人間はもはや動物という集合に入っていないと思わせるほど、人間は傲慢になっていないか。その昔のことを考えれば、だれも人間集合が動物集合に内包されていないとは思っていなかったに違いない。つまり、動物集合から人間集合が抜け出し、動物集合と人間集合が相対峙しているかのように感じるまでになってしまったのだ。かつては、「人間動物園」(human zoo)というものがあり、人間を他の動物と同じように「展示」することが事実としてあった。だが、そうした展示も人道上の理由からなのか、こうした動物園の話は最近、ほとんど耳にしない。それだけ、人間は動物と隔絶されてしまったということだろう。」
要するに、人間は神の支配から抜け出し、動物という自然のなかからも突出するに至っている。しかし、そうした人間に鉄槌がくだされようとしている。
2018年5月、50カ国以上の専門家400人による調査を取りまとめた、国連の「生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム」(IPBES)の報告書が公表された。それによると、約100万種の動植物が絶滅の危機に瀕しており、その多くは生物多様性の損失をもたらしている主な要因の影響を減らす対策がとられなければ、今後数十年以内に絶滅しかねないという。
もはや人間だけの利己的な利害だけを優先しても、地球上の生態系全体が毀損され、結局、人間の生活が守れなくなる危機が迫っているのだ。そうであるなら、人間のことしか頭にないような思考そのものを改めることが必要になるはずだ。
多くの人間が人間中心主義に染まっているわかりやすい例はプライバシー保護をめぐる議論であろう。
プライバシー保護は多くの場合、人間だけがかかわる問題として論じられてきた。AIに基づく顔認証システムの導入は個々人の監視につながるから、少なくとも警察などの法執行権力がこれを導入するには厳しい制限が当然だと主張する声は根強い。
だが、動物園のゴリラやチンパンジーを四六時中監視する行為について、これを問題視する声はほとんど聞かない。人間中心にすべてを設計し、人間にだけ都合のいいルールを設けることで事足りると信じてきたわけである。
しかし、動物学者のデイヴィッド・アッテンボローはゴリラのプライバシーを尊重するためにガラス越しではなく、あくまでゴリラに気づかれないようにのぞき穴を利用してゴリラを観察すべきだと主張している(ガーディアン2016年10月18日付)。ゴリラのような動物は見られていることを気にかけるだけの自覚をもっており、だからこそ人間はゴリラのプライバシーを尊重すべきだというのだ。
ここで、2018年12月の冬休みの宿題としてゼミ生に出した宿題の話をしよう。The Economist(December 22nd, 2018)に掲載された“Animals in court, Do they have rights?”を読んで感想文を書けというものだ。
この記事には、2018年12月14日、ニューヨークの裁判所(オルレアン郡にあるニューヨーク州最高裁判所)が象であるハッピー(Happy)への違法な拘禁を防ぐための出廷命令令状(habeas corpus)を出すことを求める請願に
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