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ウイルスが我々に問いかけているもの(2)(続)グローバル化

グローバル化の何が問題か

花田吉隆 元防衛大学校教授

ホワイトハウスで国家非常事態を宣言するトランプ大統領=ワシントン、ランハム裕子撮影

 前回、「世界がグローバル化する」のに、「国際社会がグローバルな対応を取れない」ところに問題がある旨述べた。

 「世界のグローバル化」自体は、資本主義の当然の帰結だ。資本主義は効率を追求する。効率のためには「仕切り」はない方がいい。モノもヒトも自由に行き来する方が効率が上がり、従って利益が増える。冷戦期、政治的思惑からこの流れが遮断された。冷戦終結後、一気にグローバル化が進んだのは、政治的思惑が取り払われ、資本主義の論理が自然の流れに沿って押し進められたからに他ならない。従って、グローバル化はこの先も押し止められることはない。世界は、ますます一体化し緊密化する。

国際社会は一丸となって対応を

 コロナは今回、「グローバル化する世界」が「グローバルに対応できない」ことを改めてあぶり出した。本来、「グローバルな問題」には「グローバルな対応」が必要だ。これだけのスピードでウイルスが世界を駆け抜けている。各国がそれぞれの思惑で国境を封鎖し「島国化」するのではなく、一丸となって何をなすべきか考える必要がある。鎖の弱い部分である途上国に対し、国際社会は一体となって支援すべきだし(そうしなければ先進国自身がウイルスの脅威にさらされる)、マスクや防護服の生産と配布、ワクチンや治療薬の開発も、もっと緊密な国際協力があってしかるべきだ。

 国際社会が一体となってグローバルな問題に対応できないとの事実は、何もコロナだけに見られることではない。例えば温暖化対策がいい例だ。

 温暖化も、問題がグローバルであり、一国で対応できるものではない点で同じだ。問題が手遅れにならないうちに手を打たねばならず、科学者の知見が必要とされることも似る。各国の産業化の進展が、地球全体の温度上昇をもたらした。だから、国際社会は一体となって、対策を講じていかなければならない。温暖化対策を熱心に進める国がありながら、他方で、それに無頓着な国があってはならない。それでは成果が望めないというのが、グロバル・イッシューのグローバルな所以(ゆえん)だ。

コロナがあぶりだした長年の矛盾

 それにもかからず、ある国は、温暖化対策は経済発展にマイナスとし、またある国は、温度上昇の原因は先進国にあり、資金協力がなければ温暖化対策に協力できないと言う。かくて、気候変動を討議する先のCOP25は何ら成果を上げることなく閉幕した。現に日本も、東日本大震災後の原子力発電稼働停止もあり、石炭火力を諦めきれない。誰もが、問題がグローバルで、従って、対応がグローバルでなければならないと分かっていながら、国益の観念が先行し、一致した行動に踏み切れない。国際社会はその矛盾を克服する英知を欠く。意志を欠く。

 コロナは、この矛盾を、誰もが恐怖に向き合う中で改めて浮き彫りにした。コロナがこの矛盾を生み出したわけではない。長く解決できずにいた矛盾がコロナによりあぶり出された。国際社会はこれを解決できるのだろうか。

 今の国際秩序は第二次世界大戦後、米国が創った。その思想は自由民主主義、法の支配、基本的人権の尊重等であり、米国の建国以来の思想が世界大に拡大された。それが国際社会に受け入れられたのは、この体制が、参加国全ての利益になったからだ。米国が創った国際秩序は米国の利益になったが、それだけではない、同時に参加国全ての利益にもなった。世界は、自由貿易拡大により利益を得、IMF支援により経済的困難に陥った国を救済することで自らもまた裨益した。世界は、グローバルな問題をグローバルに扱う体制に向け順調に進んでいくかに見えた。冷戦の終了は、麻痺した国連の機能回復の期待を抱かせた。しかし、何のことはない、冷戦終結後30年を経て、世界は、大きく逆行する国際社会を目の当たりにしている。

国際社会に広がる自国優先主義

 今の国際社会の流れは、逆に、自国優先主義だ。世界の各国で跋扈するポピュリズムは、「グローバル化はエリートのみを裨益させ、多くの『顧みられない人々』を生んだ。政治は顧みられない人々に光を当てるべきであり、国境を閉じ、貿易に高関税を課し、難民を追い返さなければならない」と主張する。

 その先頭に米国が立つ。4年前のトランプ政権誕生以来、世界は「国際協力」から「巣ごもり」状態に移行した。自国第一主義がはやりとなり、ハンガリーもブラジルもフィリピンも、つまり世界中が自らの国益を優先させる。米国はこの4年で、温暖化対策のパリ協定離脱、イラン核合意離脱、INF条約破棄、TPP離脱、WHO拠出金凍結と、矢継ぎ早に国際協力に背を向け、加えて、米中対立、米欧亀裂と、世界の対立構造を煽ってきた。

 この世界大のコロナ危機にあって、米国が先頭に立ちコロナ克服の音頭をとるとの気配がない。米国自身、世界で最も多い感染者を抱える。自国のことだけで手いっぱいであることはよく分かる。

 それでも、以前であれば、米国が率先して世界の感染地に医療チームを派遣し、世界の感染対策を主導し、また、マスクや防護服等、必要な医療物資を世界に供給していただろう。第二次大戦後の混乱した時にあって、米国はマーシャルプラン等の復興計画で、欧州やアジアの復興に主導的な役割を果たした。困難な時期に、資金とリソースに恵まれた米国が担うリーダーシップは、各国にとり、何にもまして頼もしく感じられた。今の米国に、その姿勢はない。真っ先に欧州との往来を止めたのはまだしも、マスクや医療物資を輸出禁止するに至っては、世界は改めて「アメリカ・ファースト」を見せつけられる思いだった。ただただ、世界は白けるだけだった。

 逆に、コロナ制圧に成功したとし、アフリカや東欧諸国に盛んに支援物資を送る中国の対応が、その思惑がミエミエであるにもかかわらず、米国との対比で、いやが応でも中国という存在を際立たせたことは否めない。

 近年、米国の存在感の退潮傾向が顕著だった。米国自ら、国際政治を「ディール」とし、対価を得なければ秩序維持に汗を欠くことはない、と公言した。世界は、鼻白みながらもなんとか米国の後ろ向き姿勢を埋めようと奔走してきた。よもや、コロナが「真空」を創り出すとは思いもよらなかった。

 今後、世界の権力構造は少なからず変化していかざるを得ない。米国は今回のコロナ対応で国際秩序に「真空」を創った。秩序は真空を嫌う。誰かがこれを埋めに入っていく。

「今は第一次大戦後の世界」

 リチャード・ハース外交問題評議会会長は、今は、第二次大戦後でなく第一次大戦後の世界だと言う。

 第二次大戦が終わった時、米国はリーダーシップをとり新たな国際秩序を築いた。その下で世界は多国間協力の体制に向かった。

 第一次大戦が終了した時、米国は同じく国際協力の体制を説いた。ウィルソンの国際連盟だ。これは革命的な提案で、それまで主権が割拠していた国際社会に集団安全保障の思想を持ち込み、国際社会が一体となって平和を確保しようとするものだった。しかし、時代が熟していなかった。欧州諸国は、経済的に米国に頼らなければならないこともあり、表面上ウィルソンの提案に反対はしなかったが、どこもまともに取り合おうとはしなかった。何より、米国自身が、自国の安全を国際社会に任せるなどとんでもない、とした。上院が国際連盟への参加を否決し、米国は国際協力の場から消えた。

 ハース会長は、今、世界は、第二次大戦後でなく第一次大戦後の状況にあるという。その帰結は何か。歴史のみぞ知る。