メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

私はこうしてコロナの抗体を獲得した《前編》保健所は私に言った。「いくら言っても無駄ですよ」

恐らくはジャーナリストとして初めてであろう「私のコロナ体験記」

佐藤章 ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長

 「コロナからの脱出生還記」と銘打って大々的に書けないわけでもないが、そのようなことはやめて、まずは事実だけを淡々と書き記しておこう。恐らくはジャーナリストとして初めての体験記になるだろうから、何かの役には立つかもしれない。

 4月21日午後3時過ぎ、私は東京・新宿の駅ビル7階にあるナビタスクリニックを訪れていた。用件は、新型コロナウイルス(COVID19)の二度目の抗体検査を受けるためだった。

 まずはコトの発端から経緯を記録していこう。

38度の発熱は3日目にして平熱に戻った

 私は3月27日と28日に連続して「論座」に出稿した。28日に出した記事『緊急事態宣言が目前に迫る!「首都封鎖」そしてその先にあるもの』は、週明けの3月30日にも、改正新型インフルエンザ対策特別措置法に基づく「緊急事態宣言」が出される可能性を報じたものだった。この情報は前日の27日に私の許に届いたが、情報源の信頼性、伝わってきた経路の確実性などを考慮して、かなり確度の高い情報と私は考えた。

 このため、2日連続の徹夜となったが、急遽28日の未明までに原稿を完成させて、その日のうちに公開することを目指した。現実の緊急事態宣言はその日からほぼ1週間後の4月7日となったが、記事の方向性、考え方などは間違っていなかった。

 ところが、記事を公開した翌29日の深夜12時前になって突然体調の変化を感じた。家族が寝静まってから半地下になっている自室書斎に降り、体温計を左脇下に差し入れてみた。すると驚いたことに、液晶は38度ちょうどを表示していた。

 自分自身が身体に感じた突然の体調の変化も「発熱」だった。発熱した時に往々にして感じる、ある種の非現実感があった。だが、時が時だけに、非現実感の中にも驚きは大きかった。その後すぐに2度体温を測り直した。結果は同じ38度ちょうどだった。

 すぐにマスクをつけ、事の次第を家族に告げて書斎に布団を運んだ。今はとにかく家族から隔離した空間で身体を休めて様子を見るしかない。

 身体を横たえて冷静に考えてみたが、この発熱がコロナウイルスに由来するものかどうか確信が持てなかった。

 20年以上前に銀行の金融危機を取材していたころ、身体を酷使した後に何かのウイルスにやられて重い風邪症状を発したことがあった。その時の感じに似ていたため、「2日連続の徹夜が祟ったか」という思いも半分くらいあった。

 翌3月30日と31日の2日間は37度5分前後の熱で推移。しかし、4月1日になると突然36度5分前後の平熱に戻った。

Tarica/Shutterstock.com

PCR検査ではなく抗体検査へ

 この日、それまでのCOVID19取材を通じてウイルス自体や医学界全般の知識などについて教えをいただいていた上昌広・医療ガバナンス研究所理事長に紹介を受け、初めてナビタスクリニックの受付に足を運んだ。運んだ手段はもちろん自分が運転する車だ。

 目的は初めての抗体検査だった。「検査難民」という言葉が流通しているように、病院のPCR検査など簡単には受けられないことはわかっていた。

 PCR検査というのは、Polymerase Chain Reaction(ポリメラーゼ連鎖反応法)という検査法の略称で、例えばコロナ患者の身体に含まれるコロナウイルスを少量取り出し、そのウイルスの遺伝子をPCR装置を使って増幅させ、発見しやすくする方法だ。

 しかし、今PCR検査はなかなか受けられない。なぜ受けられないのか。その大きい原因となっている構造については、『安倍首相が語った「コロナのピークを遅らせる」と「五輪開催」の政策矛盾』(3月17日公開)に記した通りだ。

 このPCR検査に対して、もっと簡便な検査方法が急速度で開発されつつある。それが抗体検査だ。

 身体の中にウイルスなどが侵入してくれば、まず免疫細胞が気がつき、そのウイルスに対して新たに形作られた抗体が立ち向かっていく。その抗体はウイルスが排除されても体内にそのまま残り、次に同じウイルスが入ってきた場合、同じように立ち向かって排除していくため、同じ感染症に犯されることがなくなる。

 これが、俗に言う免疫の獲得である。

 抗体検査は、ウイルスの遺伝子そのものを増幅させて調べるPCR検査とはちがい、この抗体の存在そのものを確認する検査方法だ。

 4月1日に受けた抗体検査は、コロナウイルス感染で調べる二つのタイプのうちIgM検査。「Ig」というのはイムノ(免疫)グロブリンの略称で、全部で五つのタイプがある抗体を意味する。IgMは感染した初期段階で生まれる抗体で早い段階で消えていく。

 腕から血液を採り、縦7センチ、横2センチの小さいキットについた下の方の「窓」に、採取した血液を1滴垂らす。すると15分ほど経過して上の方の「窓」に赤い線が1本か2本現れる。これが1本であれば陰性、2本であれば陽性という結果になる。

 そして、この日、私の検査結果は陰性だった。

Blue Planet Studio/Shutterstock.com

 ナビタスクリニックはこの時、医療関係者ら同クリニックが必要と認めた人にのみ抗体検査を実施していた。私の場合は紹介があったことと、COVID19の取材を続けているジャーナリストであることから必要性があると判断された。4月23日から、一般の方からの抗体検査申し込みを受け付けている。ただし、保険適用がないため、一回5500円は自費となる。

再び体温が上昇、味覚も消えた

 私はすっかり安堵して帰宅し、久々に冷たい缶ビールなどを飲んで過ごしたが、翌4月2日から情勢がまた変化した。体温が再び上昇し、37度から38度となった。

 3日になって、単なる風邪から私の持病のひとつである痛風までお世話になっている近くの「かかりつけ医」を訪ね、解熱剤などを処方してもらった。

 再度の体温上昇に再びCOVID19感染の疑いが濃くなり、「かかりつけ医」を訪ねる時も事前に電話予約した。「かかりつけ医」は、抗体検査はまだ十分に確立された検査法ではないとしてCOVID19感染を強く疑っていた。

 翌4日、5日は解熱剤を飲んでも特に夜になると熱が上がり、37度5分前後だった。一度深夜に寝る直前には38度7分まで上昇していたことを記憶している。

 午前5時ごろにいったん目覚めてヨーグルトと解熱剤、昼の12時半ごろに昼食と解熱剤、夜の8時半ごろに夕食と解熱剤という日々が続いた。

 この間のある日、昼に食べた日本そば、夜に食べた鮭の塩焼きにまったく味を感じなかったことを覚えている。ちょっとした驚きとともに「ああ、コロナだな」と強く印象づけられた。

 しかし、コロナであれば立ち向かっていくものは自分の免疫細胞しかないので、味がしようがしなかろうが、目の前のものはすべて食べた。戦う抗体に援軍を送ることができるのは自分しかいない。

 布団の中で、高止まりした熱とあまりうれしくない変てこな夢に苛まれ、汗びっしょりとなった。不思議にほとんど咳はなかった。自分の身体の中で、確定はしていないがコロナウイルスかコロナもどきウイルスと自分の免疫細胞が戦っているのが実感できた。

 このころ米国などで死亡していくコロナ患者の様子がしきりに報道されていた。数10分前に普通に会話していた患者が急変して死に至ったという様子が繰り返しレポートされ、若干不安に陥った。自分自身の様子を観察してみると、すぐに死に至る様相は微塵も見えないようだが、その感覚もあてにはできないということだ。

セントラルパークに設置された野外病院。ベッド68床と人工呼吸器10台を備える=2020年4月12日、米ニューヨーク

 メモがないので何日かはわからないが、ある夜中、かなりの空腹を感じ、好物の担々麺を無性に食べたくなった。なぜかこのころから、夜に上がっていた熱も下がり始めたような気がする。

PCR検査にたどり着けるかは医者次第

 7日午前、部屋の前で珍しく家人が電話口で言い争っている声が聞こえてきた。

 「じゃあ、どうしたら検査は受けられるんですか」

 何度も電話していた保健所の担当者とつながったらしい。私と電話を替わったが、「検査難民」の一人となった私が実際にやり取りをしてみると改めて驚きを感じざるをえなかった。

 最初に発熱してから10日が経ち、その間ほとんど37度5分の熱が続いたというのに、「検査は受けられません」という。保健所の担当者は「いくら言っても無駄ですよ」とまで言った。「外国から帰国した人で強く感染が疑われる人と濃厚接触した人で――」などと繰り返している。

Halfpoint/Shutterstock.com

 私は取材を通して、なかなかPCR検査を受けられない構造を知っていたので、早々に電話を切り、「かかりつけ医」に連絡した。このように検査を断られた場合、「かかりつけ医」の方から改めて保健所の方に連絡してくれるという説明を聞いていたからだ。

 後で聞いた話では、この医師はかなり強く検査の必要を訴えてくれた。結果的にPCR検査が認められたわけだが、やはりこの「かかりつけ医」のようにかなりベテランで、住民からも保健所からも厚く信頼されている医師が強く訴えた場合、保健所としても最終的に検査を認めざるをえないのだろうと私は推測した。

『私はこうしてコロナの抗体を獲得した《後編》PCR検査の意外な結果、そして…』に続きます。