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私はこうしてコロナの抗体を獲得した《後編》PCR検査の意外な結果、そして…

恐らくはジャーナリストとして初めてであろう「私のコロナ体験記」

佐藤章 ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長

『私はこうしてコロナの抗体を獲得した・前編/保健所は私に言った。「いくら言っても無駄ですよ」』に続く後編です。

PCR検査の検体採取は辛い。結果はまさかの…

 発熱してから11日目の8日午前、自宅から歩いて20分ほどの総合病院に向かった。この総合病院にはまったく別の用事で何度も来ているが、普段の入り口とは全然別の通用口のようなドアから、待合室代わりになっている廊下に入った。

 ドアの足ふきマットが土でかなり汚れていた。廊下には3メートルほどの距離を置いて、それぞれ番号を振った椅子が置いてある。

 消火器の前の1番の椅子を割り当てられた私は、そこで1時間ほど待った。中からは、なぜか患者が看護師に強く食ってかかる声が聞こえてきた。

 急ごしらえの部屋に呼ばれて入っていくと、まず尿検査をして胸部レントゲン写真を撮影し、最後に完全防備の女医二人が私を診察した。

拡大Cryptographer/Shutterstock.com

 完全防護服の中から口内を観察し、PCR検査をする。最初に右の鼻孔の奥をぬぐってインフルエンザウイルスの検体を採取し、次に左の鼻孔の奥をぬぐってコロナウイルスの検体を採る。最後に口を大きく開いて喉の奥をぬぐい、念のためにもう一度コロナウイルスの検体を採取する。

 こう書けば手順は簡単だが、実際には簡単ではなかった。

 私は非常に近い肉親を3人看取った経験があるため、「生きる」ためには何でもする覚悟ができていた。しかし、頭の中の覚悟とは裏腹に、身体は瞬間的に別の方向に反応してしまっていた。

 記憶では、右の鼻孔はまだ我慢していたが、左の鼻孔の方は我慢できずに早めに頭をのけぞらせてしまったような気がする。喉の奥の方は到底耐えられるものではなかった。その瞬間に頭をひき何度も咳き込んでしまった。

 すると、このような事態は何度も起こって慣れているためか、「こちらの器に痰か痰の混じった唾を出してください」と言われた。差し出されたシャーレに喉の奥から唾を吐き出すと、それに蓋をして持って行った。

 いったん自宅に戻ったが、午後になって呼び出しがあり診察結果の説明を受けた。PCR検査を受けた8日は水曜日だったために、その検査結果は週明けになるだろうという。

 しかし、レントゲン撮影の結果、軽い肺炎であることがわかった。説明を受けてレントゲン写真を凝視しなければわからなかったが、肺に薄いもやのようなものがかかっているような気がした。ほとんど咳がなく、呼吸そのものには何一つ障害がなかったために意外な診断だった。

 週明けの4月13日午前9時30分、病院から電話があったが、私は眠りの中にいて電話に出ることができなかった。午前11時過ぎに電話してみると、診察に当たった医師の一人が電話に出て意外な結果を口にした。

 「PCR検査の結果がわかりました。佐藤さんは陰性でした」

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筆者

佐藤章

佐藤章(さとう・あきら) ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長

ジャーナリスト学校主任研究員を最後に朝日新聞社を退職。朝日新聞社では、東京・大阪経済部、AERA編集部、週刊朝日編集部など。退職後、慶應義塾大学非常勤講師(ジャーナリズム専攻)、五月書房新社取締役・編集委員会委員長。著書に『ドキュメント金融破綻』(岩波書店)、『関西国際空港』(中公新書)、『ドストエフスキーの黙示録』(朝日新聞社)など多数。共著に『新聞と戦争』(朝日新聞社)、『圧倒的! リベラリズム宣言』(五月書房新社)など。

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