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生態系中心主義に立脚したAI倫理は構築できるか

人間を理性的存在として特権化する「人間中心主義」の限界

塩原俊彦 高知大学准教授

 このところ何度か、AI倫理にかかわる問題を論じてきた。「AI倫理を問う(上)」「AI倫理を問う(下)」そして「世界の潮流としての人間中心主義批判」である。ここでは、西垣通・河島茂生著『AI倫理:人工知能は「責任」をとれるのか』を参考にしながらAI倫理についてもう一度考えてみたい。

近代的倫理思想

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 人間だけが理性をもち、ゆえに行為の選択において道徳的判断をくだせるというのが、カント流の近代的倫理思想である。主体たる人格が道徳的判断をくだすのだが、その主体たる人間は地球や国家、都市や農村、学校や会社、家庭などのさまざまに重層化された共同体とは無関係ではいられない。

 それでも、行動の結果としての倫理的・道徳的責任を負えるのは基本的に人間および人間の集まりとしての法人に限定される、とみなす。ここに人間を理性的存在として特権化する「人間中心主義」が潜んでいることになる。

 だが、「世界の潮流としての人間中心主義批判」で取り上げたように、21世紀のいま、“non-human persons”という「格」が動物に認められる動きが世界中で広がりつつある。さらに、動物は感覚力のある生き物(sentient beings)であるので動物の安寧要求に十分に配慮すべきであるとの考え方も広がりをみせている。

 おそらくこうした変化は、AI搭載のロボットにさえ「疑似人格」を見出そうという動きに対応したものではないかという疑いが思い浮かぶ。すでに2016年の段階で、欧州議会の法律問題委員会の諮問で作成された報告書「ロボット工学におけるヨーロッパ市民法」には、ロボットを「電子人」(electronic persons)として自然人と同じようにみなそうとする考え方が示されている。

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筆者

塩原俊彦

塩原俊彦(しおばら・としひこ) 高知大学准教授

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士(北海道大学)。元朝日新聞モスクワ特派員。著書に、『ロシアの軍需産業』(岩波書店)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(同)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局)、『ウクライナ・ゲート』(社会評論社)、『ウクライナ2.0』(同)、『官僚の世界史』(同)、『探求・インターネット社会』(丸善)、『ビジネス・エシックス』(講談社)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた』(ポプラ社)、『なぜ官僚は腐敗するのか』(潮出版社)、The Anti-Corruption Polices(Maruzen Planet)など多数。

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